明和8年の干ばつ

災害年月日
1771年00月00日
市町村
愛媛県砥部町
災害種類
渇水  
概要
明和8年(1771)の大干ばつにより、下麻生村組頭の窪田兵衛門が死罪を受けるという大水論が起こったことを契機として、伊予市八倉・宮下及び松前町徳丸・出作の共有泉である赤坂泉がつくられた。赤坂泉は、市ノ井手の取水量確保のため、釣吉村庄屋の阿部万左衛門が安永3年(1774)年に赤坂泉の開鑿に着手し、天明元年(1781)に完成したもので、その後改修を加えて、寛政10年(1798)に今の形に完成した。
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参考文献
窪田重治「重信川流域の水利と新田開発について(1)」(重信史談編集委員会編「重信史談 第18号」重信史談会、1999年)、49頁及び53頁
情報源の種類
学術論文、雑誌論文
キーワード
干ばつ 水論 窪田兵衛門 阿部万左衛門 赤坂泉
NO.
愛媛7926

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