嘉永2年の酉の水

災害年月日
1849年08月25日
市町村
徳島県吉野川流域
災害種類
風水害  
概要
嘉永2年(1849)7月8日、酉年の大水、城下にあふれる。大風雨は11日まで続き、板野郡誌は旧吉野川の板東で100間が破堤、水位は地上平均7尺と記し、また川内町周辺では33箇所で堤防が決壊し、稲毛、草とも一本の緑も見えず、フナやカメが浸入した潮で死んで浮流した。鶴島、宮島、富吉、富久、米津の堤防は内側からの河水で決壊した。麻植郡山川町川田の堤防も破られ、三好郡代所の調べでは死者250人という。徳島城下も水浸しとなって多くの人家が流れ、藩士の録は10分の3を収めるのを免じた。
地理院地図
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参考文献
毎日新聞社編「吉野川」(毎日新聞社、1960年)、107頁及び118-119頁
情報源の種類
その他文献等
キーワード
洪水 酉の水 吉野川 破堤 死者
NO.
徳島6328