明治21年7月の洪水

災害年月日
1888年07月31日
市町村
徳島県石井町
災害種類
風水害  
概要
明治21年(1888)7月31日、洪水により、9割方完成した西覚円の新堤防が369間(664m)にわたり決壊し、人家78戸が押し流され、26人が亡くなり、560余人が住家を失う被害が発生した。覚円地区の住民は、県による引堤工事の遅延と、内務省が施工した沈床工が激浪を起こしたことが惨害の原因であるとして、荒蕪地の田畑の買い上げ、損害金の下付などを求め知事に強訴する覚円騒動に発展した。同年10月に徳島県議会では吉野川改修工事廃止が決議され、内務省は吉野川改修工事の中止を決定した。(真貝宣光)
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参考文献
とくしま地域政策研究所編「吉野川事典-自然/歴史/文化」(農山漁村文化協会、1999年)、61-62頁
情報源の種類
その他文献等
キーワード
洪水 吉野川 堤防決壊 死者 覚円騒動
NO.
徳島6676