大正3年の水論

災害年月日
1914年08月00日
市町村
香川県まんのう町(満濃町)
災害種類
渇水  
概要
大正3年(1914)8月、炭所西片岡の土器川に築かれた薬師堰からの分水をめぐり、長尾側と岡田側の間に紛争が起こった。長尾側は薬師出水の暗渠の出口から水門の入口近くまで大石を並べて仮堰を作り、出水の水を長尾側に取り入れようとした。岡田側は、出水の増水分は亀越池の水なので、自然の流れに任すべきであると主張して、仮堰を撤去しようとした。このため、長尾側と岡田側の乱闘となり、制止に入った警官も乱闘に巻き込まれ、多くの農民が公務執行妨害で検挙された。(「亀越池の水利慣行」による)
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参考文献
讃岐のため池誌編さん委員会編「讃岐のため池誌」(香川県農林水産部土地改良課、2000年)、628頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
水争い 土器川 薬師堰 亀越池
NO.
香川1521

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