昭和21年(1946)12月21日、南海地震により、松山市の沈下量は旧市内で38cm、三津浜地区で28cmとなった。松山市では北部久万川河口地区、三津浜町地区、重信川河口地区で被害を受けた。特にキジア台風時には久万川を逆流した海水により和気町の水田約70町歩が... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日、5日、大地震。真覚寺日記には、5日の地震について「七ツ半時俄に一天薄闇く相成り近代未曾有の大地震、山川鳴り渡り土煙空中に満ち飛鳥も度を失い、人家は縦横無尽に潰崩し瓦石は四方へ飛び、大地破裂してたやすく逃げ走る事も成り難く、男女只... 続きを読む
昭和48年(1973)12月7日、寒波の来襲で雪となり、山間部では臨時休校、バスの運休などの措置がとられた。7日9時の積雪は鳴門3cm、福原旭12cm、池田2cm、一宇4cmであった。 続きを読む