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明治44年(1911)8月16日、宮川内谷川の引野入戸堤防決壊30間、七条粟飯久保20間、収穫皆無20町歩。七条堤南へ舟で飲料水、麦粉、水、ろうそくを配給。被災者500人、瀬部、元原、古町、北高瀬、堤南一帯大洪水。 続きを読む
明治45年(1912)9月23日、宮川内谷川の堤防決壊14箇所、延長427間、荒地14町7反歩、浸水200町歩、流失家屋6棟、倒壊家屋18棟、死者3人、牛馬3頭。23日及び24日七条中筋へ炊き出し、配給、罹災救助、食料米3石3斗1升2合、小屋掛料115円、就業... 続きを読む
大正元年(1912)9月22日~23日、別宮川の堤防が2箇所で決壊した。死者8人、負傷2人、流失崩壊の住家28棟、浸水の住家810棟、流失崩壊の非住家32棟、浸水の非住家411棟、このほか農作物に被害が出た。 続きを読む
明治38年(1905)8月17日、水位は吉野川本流で1丈5尺、別宮川で2丈5寸。浸水反別は耕地513町歩、宅地22町歩。農作物の減収見込みは米4割、大豆5割、秋粟7割、二番葉藍3割。 続きを読む
明治40年(1907)7月19日、水害により床上浸水が住家820戸、非住家1,500戸、浸水反別603町歩余。降雨のため、藍作の収穫量は1割減となり、品質も悪く価格も低下せざるを得なかった。 続きを読む
明治40年(1907)9月8日午前2時、最高水位は吉野川で1丈3尺5寸、別宮川で2丈1尺。今回の降雨では強風は伴わなかったが、風雨中に洪水となったため堤防の破壊が多く、浸水による家屋の損害も多大であった。農作物では大豆がほぼ皆無で、ついで米の被害が大きく、粟は... 続きを読む