29860件のアーカイブスが見つかりました。
条件:
平成7年(1995)7月3日から4日にかけて、梅雨前線の活動により豪雨となった。4日未明には洪水が未改修箇所の矢落川左岸堤防を越え、大洲盆地に流入し、大洲地区を中心に下流の長浜町にかけて家屋や事業所などが浸水するとともに、田畑が広範囲にわたり被害を受けた。当時... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日~24日の4日間に、年間降雨量の約3分の1の雨が降った。山は崩れ、地すべりが起き、川は氾濫して未曾有の被害となった。大洲桝形の水位は8.6mを記録した。当時の写真11枚。水害体験談が掲載されている。 続きを読む
昭和20年(1945)9月17日、枕崎台風により、肱川流域では猛烈な暴風雨に見舞われ、昭和18年洪水後に復旧したばかりの堤防などが決壊した。大洲桝形の流量は約5,000立米/秒で、戦後最大となった。当時の写真3枚。水害体験談が掲載されている。 続きを読む
昭和25年(1950)9月14日、キジア台風による水害のため、当時の新聞は肱川上流の鹿野川の水位が1時間おきに1m増水すると伝えている。また、肱川下流の長浜では、大潮と高潮が重なり、甚大な被害が出た。当時の写真5枚。 続きを読む
昭和29年(1954)9月14日、台風12号が肱川流域を襲った。当時の新聞は、危険な状態になった大洲市五郎の様子を「濁水のはんらんにおののき『今度は来るぞ』と覚悟、大切な家財道具は2階に、その他の障子、畳、薪、商品などはやや高い国鉄駅構内または線路横に運搬する... 続きを読む
昭和45年(1970)8月21日、台風10号が肱川の流域を襲った。21日の水位は肱川橋地点で5.5mに達し、矢落川左岸旧堤防を越え、大洲盆地等に氾濫し、大洲平野や下流の無堤地区で浸水が相次ぎ、家屋や田畑に大きな被害が出た。当時の写真2枚。 続きを読む
昭和57年(1982)8月27日、台風13号が肱川の流域を襲った。27日の水位は肱川橋地点で5.41mに達し、矢落川左岸旧堤防を越え、大洲盆地に氾濫し、大洲地区を中心に下流の長浜町にかけて家屋や事業所などが浸水するとともに、田畑が広範囲にわかり被害を受けた。当... 続きを読む