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明治9年(1876)、干ばつにより相当の被害があった。前年に引き続き、東十川では水をめぐり紛争が生じたため、明治10年に「水利盟約書」を作成して、無水状態になっても、お互いに苦情を言わないことを盟約した。 続きを読む
明治27年(1894)夏から9月11日まで、約140日間日照りが続いた。池底に亀裂ができて、水がなくなり、東十川村内では水けんかなどが生じた。このため、新規に池を築造する計画が立てられたが、配水権などで地主との関係がうまくゆかず、新池築造は中止となった。 続きを読む
明治27年(1894)4月27日から9月10日まで、135日間日照りが続き、飲み水にも困り、農家は土びんで稲株に水を注いだ。秋になっても出穂せず、収穫皆無の所もあった。 9月11日午後8時頃より、東風を伴う暴風雨が吹き、翌12日にも収まらず、午前11時頃より南... 続きを読む
昭和9年(1934)7月27日から9月7日までの43日間の降雨量は32.5ミリで、8月の降雨量は1.7ミリという記録的な少雨であった。栗林公園の泉水をかんがい用水としている宮脇町・西浜町の農家は県知事に配水を嘆願したが、公園の風致がこわれるとの理由で断られた。... 続きを読む
大正元年(1912)9月21日、暴風雨のため、栗林公園も全域水浸しになった。栗林村や室の住民は、紫雲山、室山、観興寺の裏山などに避難して暴風雨が収まるのを待っていた。そのさなかに、観興寺の山が大音響ととともに崩壊し、別堂に避難していた人々はお堂もろとも土砂に押... 続きを読む