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元禄15年の台風

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元禄15年(1702)7月28日、大風があり、松山城の鯱が落下し、城山の松318本が倒れ、侍屋敷20軒、町屋20軒、百姓家2,889軒が倒壊、死者16人。(「垂憲録拾遺」による) 続きを読む

延宝6年の風雨

延宝6年(1678)7月18日、松山大風雨、民家1,793軒破損。(「津田家記」による) 続きを読む

延宝4年の洪水

延宝4年(1676)6月11日、松山洪水。(「松山叢談」による) 続きを読む

延宝元年の洪水

延宝元年(1673)、石手川の堤防が決壊し、城下町の代官町付近まであふれる。(「垂憲録拾遺」による) 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月4日、松山地方、大洪水。(「松山叢談」による) 続きを読む

昭和56年の異常低温

昭和56年(1981)2月25日から28日にかけて、冬型の気圧配置と寒気の南下があり、強風、異常低温などの気象災害が相次いだ。松山では中国地方への水中翼船が欠航したり、市内各地で水道管の凍結・破裂事故が発生するなど、大いに混乱した。 続きを読む

昭和55年の霜害

昭和55年(1980)5月2日、霜害が発生し、山沿いの地帯で桑、茶、タバコなどに被害が出た。 続きを読む

慶応元年の長雨

慶応元年(1865)春、松山だけでなく瀬戸内海全域に長雨が続き、麦作が不作となった。 続きを読む

延宝元年の洪水

延宝元年(1673)、石手川が氾濫し、城下町の人たちが掘端の堤の上に避難するほどの大混乱を呈した。 続きを読む

享保6年の洪水

享保6年(1721)7月、洪水のため石手川が氾濫して、堤防が決壊した。これにより、流失家屋889軒、死者72人、山崩れ29,220箇所に及ぶ被害が出た。また、田畑3,716町余が「川成、砂入、汐入、水押」の有様であった。藩士は出動して警戒に当たるとともに、高1... 続きを読む

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