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昭和51年の寒波

昭和51年(1976)2月、松山気象台開設以来という大寒波に見舞われ、かんきつ類はほとんど落葉し、多くの家庭の給排水用パイプが裂けるなどの被害を受けた。 続きを読む

昭和55年の冷夏・長雨

昭和55年(1980)7月~8月の冷夏と長雨は、観測史上まれに見るものであった。松山の7月の平均気温は平年より1.5℃低く、8月の平均気温は平年より2℃低かった。また、7月の降水量は平年の約2倍、8月の降水量は平年の約3.4倍であった。このため、温州みかんは色... 続きを読む

宝暦10年の水論

宝暦10年(1760)、高井村南分が五反地に新泉(五反地泉)の開鑿に着手したのに対し、北分の農民が野都合泉の湧出量に影響するという理由で反対し、水論が起こった。両者折衝の末、五反地東端部の泉敷を埋め立てることで和解した。 続きを読む

慶応3年の水論

慶応3年(1867)、高井村北分が野都合泉の揚水を強行したため、南分の農民が妨害し五反地泉の掘増をしたため、乱闘事件に発展し、死者1人、負傷者18人が出た。明治3年(1870)、「五反地・塚原両泉並ニ野都合泉井手筋定書之事」の定書を交わして解決した。 続きを読む

延宝4年の洪水

延宝4年(1676)、大洪水。(「余土村誌」による) 続きを読む

延宝6年の洪水

延宝6年(1678)、大風雨後、洪水により、水田地損毛、農作物被害あり。(「余土村誌」による) 続きを読む

元禄15年の洪水

元禄15年(1702)、大洪水により、土手が切れ、百間以上砂山となった。(「余土村誌」による) 続きを読む

宝永4年の風雨

宝永4年(1707)、大風雨により、人畜その他破損数々、作毛減った。(「余土村誌」による) 続きを読む

正徳5年の洪水

正徳5年(1715)、大洪水により、蔵之内に3尺水ゆかへ。(「余土村誌」による) 続きを読む

享保6年の洪水

享保6年(1721)、石手川決壊数箇所、水田畑損毛、人畜死傷。(「余土村誌」による) 続きを読む

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