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元禄2年5月の風雨

元禄2年(1689)5月20日、風雨のため、大洲枡形の樋ノ口石垣が崩れた。(「力石本家譜」による) 続きを読む

天正6年の洪水

天正6年(1578)、洪水のため、五十崎竜宮が流れた。(「大洲旧記」による) 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)、甚雨疾風につき、大水出で。(「玉露叢」による) 続きを読む

延宝2年の風雨

延宝2年(1674)8月17日、大風雨。(「徳川実記」による) 続きを読む

延宝4年6月の風雨

延宝4年(1676)6月11日、風雨。(「宇和島吉田両藩誌」による)/石手川洪水。(「松山叢談」による) 続きを読む

延宝4年7月の風雨

延宝4年(1676)7月4日、風雨。(「南宇和郡誌」による) 続きを読む

延宝6年7月の風雨

延宝6年(1678)7月10日、大風雨。(「徳川実記」による) 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)2月、重信川は未曾有の大水害を受けた。堤防の決壊箇所の応急処置は、中学生等の勤労奉仕作業によったが、戦後に建設省は重信川工事事務所を設置して重信川の大改修を行うことになった。 続きを読む

元禄17年の水論

元禄17年(1704)、宇和川の名本井手をめぐり、大江村と真土村で水論が起こった。大江村は名本井手に水門をつけて井手水を取水できるようにすることを要求し、真土村はそれに難色を示したが、結局認めることで両村間の話がまとまった。 続きを読む

享保9年の水論

享保9年(1724)6月、宇和川の名本井手をめぐり、大江村と真土村で水論が起こった。 続きを読む

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