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明治27年の干ばつ

明治27年(1894)4月26日降雨あり、以後、6月7日に小雨があったものの、雨らしい雨は9月10日までなく、135日の干ばつとなった。池底は乾き、井掘も涸渇して、汲む水もなくなり、農家は少量の水を土瓶に入れて、稲株を潤すに至ったが、稲は出穂に至らず、枯死し、... 続きを読む

大正2年の干ばつ

大正2年(1913)7月、8月、雨量が少なく、高松・三豊の両平野で干害がひどかった。 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)5月13日に雨が降ってから、7月13日まで約60日間干ばつとなった。この日の雨で、一斉に農家は田植えを行った。その後、48日間の日照りが続いたため、木下県知事は、善通寺山砲隊に実弾射撃を依頼した。各市町も、山々で焚き火をして雨乞いを行った。... 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)5月から7月13日まで60日間照り続け、再び天気固定して9月1日まで照ったため、農作物の被害が甚だしかった。 続きを読む

昭和62年の台風19号

昭和62年(1987)10月16日午後7時20分、台風19号の接近に伴い、高松地方気象台は暴風雨、波浪、洪水の三警報を発令した。三木町では午後8時に水防本部を設置し活動したが、2日足らずで年間雨量の半分近い471ミリという記録的な豪雨に見舞われ、建物の全壊6戸... 続きを読む

昭和37年の干ばつ

昭和37年(1962)7月、8月、近年まれな高温少雨のため、農作物は被害を受けた。 続きを読む

寛永3年の風雨・干ばつ

寛永3年(1626)閏4月7日大風雨があり、以後95日間雨がなく、餓民餓死者を多く出した。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

寛永20年の干ばつ

寛永20年(1643)4月下旬から6月下旬まで雨が降らず、五穀が実らないため、秋から冬にかけて餓死者を多く出した。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

承応3年の干ばつ・洪水

承応3年(1654)夏は大旱、秋は大洪水のため五穀実らず、餓民が多く出た。高松藩では米穀を施して救った。農耕の牛馬が多く餓死したので、藩から金を借りて牛馬を買ったものもある。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

宝永7年の干ばつ・台風

宝永7年(1710)6月より8月にかけて干ばつで、8月に至って大風、洪水が起こり、五穀実らず、飢饉となった。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

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