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嘉永7年(1854)11月5日7ツ時(午後4時頃)及び7日4ツ時(午前10時頃)に、大地震があった。大地震で倒壊した家の下敷きになるなどして8人が死亡した。また、大地震の際に浜方のあちこちで火災が発生した。さらに、道後温泉では源泉の湯がとまったが、翌年5、6月... 続きを読む
平成13年(2001)3月24日15時28分頃、M6.7の芸予地震が発生した。愛媛県内では今治港の岸壁背後が25cm沈下したり、今治城のお堀護岸が50cmはらみ出すなどの液状化が原因と考えられる被害が生じた。この報告では、広島県と愛媛県を中心に実施した現地... 続きを読む
平成13年(2001)3月24日、M6.7の芸予地震が発生した。この報告では、現地調査をもとに、噴砂・噴水が確認された液状化の分布状況を示すとともに、松山空港、東予市北条地先の臨海埋立地、今治港等の液状化の事例紹介を行っている。 続きを読む
平成13年(2001)3月24日、芸予地震が発生した。松山平野は、平成12年(2000)鳥取県西部地震で震度3前後を、また平成13年芸予地震で震度5前後を経験したが、地震被害は地震の揺れと密接な関係があることから、この報告では、地震の被害分布を理解するため... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日朝辰の下刻(午前9時頃)、大地震あり。5日午前3時頃、大地震となり、その後も大震が続いた。加えて沿岸地方では大津波の襲来となった。牟岐町では津波の高さが3丈余となり、西牟岐浦175戸が全戸流失するなどした。宍喰浦では350戸のうち... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時19分頃、潮岬の南方50kmで起こった大地震、津波により、死者は浅川で85人、牟岐で53人を出したほか、住家、堤防、道路、橋、田畑などに大きな被害が出た。また、この地震で県内各地で地盤沈下が進行したため、かさ上げなどの... 続きを読む