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昭和49年の台風16号

昭和49年(1974)9月1日、台風16号が大潟で強い勢力を保ったまま四国に上陸した。重信川流域の流量は出合地点で1,230立米/秒、湯渡地点で310立米/秒となり、被害は浸水家屋等14戸に及んだ。 続きを読む

昭和51年の台風17号

昭和51年(1976)9月11日、台風17号が四国南海上で停滞し、長時間の降雨となった。重信川流域の流量は出合地点で1,210立米/秒、湯渡地点で170立米/秒となり、被害は浸水家屋等209戸に及んだ。 続きを読む

昭和54年の洪水

昭和54年(1979)6月26日から30日にかけて、梅雨前線により豪雨となり、総雨量が400ミリを超えた。重信川流域の流量は出合地点で980立米/秒、湯渡地点で380立米/秒となり、石手川筋の橋梁の損壊等のほか、浸水家屋等62戸の被害が生じた。 続きを読む

寛延5年の洪水

寛延元年(1748)7月24日、伊予郡、松前地方で大洪水、道後温泉が被害を受けた。(「松山工事事務所40周年記念誌」による) 続きを読む

天明3年の洪水

天明3年(1783)8月11日、洪水により、伊予郡高柳村の重信川の土手が百間余潰れた。(「松山工事事務所40周年記念誌」による) 続きを読む

文政8年の大雨

文政8年(1825)6月3日、大雨による出水のため、石手川筋及び外川内川所々堤切れ、市の坪辺を押流し、出合辺は海の如し。流死・怪我人7人、潰・半潰家316軒。(「松山工事事務所40周年記念誌」による) 続きを読む

文政9年の洪水

文政9年(1826)5月21日、石手川の洪水により、出合川の辺去歳の切口外に百間程も切れ、流家・壊家300間余。(「松山工事事務所40周年記念誌」による) 続きを読む

弘化3年の風雨

弘化3年(1846)7月9日、松山領で大風雨により、重信川・石手川では死者14人、民家破損の被害が出た。(「松山工事事務所40周年記念誌」による) 続きを読む

明治9年の台風

明治9年(1876)9月13日、暴風雨により、重信川・石手川の被害は家屋流出16戸に及んだ。(「松山工事事務所40周年記念誌」による) 続きを読む

明治17年の台風

明治17年(1884)9月25日、暴風雨、高潮により、重信川・石手川の被害は死者167人、家屋倒破壊1,784軒、田畑流失多数に及んだ。(「松山工事事務所40周年記念誌」による) 続きを読む

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