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平成7年の洪水

平成7年(1995)7月、洪水が大洲市を襲った。テレビや新聞紙上で、道路上に取り残された自動車からドライバーを救助する姿や、浸水家屋、被害を受けた収穫前の野菜などが大きく報道された。浸水家屋のうち、床下浸水426戸、床上浸水482戸、軒下浸水20戸であった。こ... 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月24日、三日三晩降り続いた雨は松山測候所で530ミリ、喜多郡では700余ミリと推定された。この時の被害は死傷者131人、流失家屋554戸、田畑の流失・埋没1,627町、堤防の決壊・破損59箇所などに及んだ。(四国地方建設局「肱川水系直... 続きを読む

文政9年の洪水

文政9年(1826)5月、肱川の出水により、増水量が9.3mと最大となり、被害は流死30人、流家49軒に及んだ。 続きを読む

元文4年の洪水

元文4年(1739)、洪水により、総社川の左岸の高橋村、右岸の中寺・八町・郷などの村々が堤防決壊のため大きな被害を受けた。 続きを読む

延宝元年の洪水

延宝元年(1673)6月27日、大洪水に際して石手川の堤防が決壊し、城下町の町分はもちろん、西堀端あたりは水勢が激しく、人々は堀の土手に避難したと伝えられる。 続きを読む

享保6年の洪水

享保6年(1721)閏7月14日から15日にかけて、石手川の洪水の被害が甚大で、家中の侍の過半数が水防のため出動したほどであった。この年の洪水による被害は田畑3,716町歩余に及び、35,065石余の損毛であった。松山藩では、家中の侍に対し、知行高100石につ... 続きを読む

昭和45年の台風10号

昭和45年(1970)8月21日、台風10号により未曾有の豪雨に見舞われ、豊田川流域では大災害を受けた。(双海町奥東の災害復旧碑の碑文による) 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月10日から3日間雨が降り続き、13日には川之江の町内各所で金生川の洪水により町内は泥海と化した。家屋の浸水はほとんど全町に及び、床上浸水が多く、中には家屋の倒壊や家財の流失もあり、負傷者も出た。また、田畑の浸水もほとんど全域に及び、橋梁... 続きを読む

昭和20年の枕崎台風

昭和20年(1945)9月、大型の台風が襲来し、激甚な風害を受けた。この風害の体験記が掲載されている。 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)、金生川の大水により、葱尾、椿堂、石川で家屋10数戸、田畑5haが流された。川原田橋付近の堤防が数m切れ、川之江町馬場から川之江河口まで堤防が切れた。古川側は水が家の軒まで来た。 続きを読む

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