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文政9年の洪水

文政9年(1826)5月、肱川の出水により、増水量が9.3mと最大となり、被害は流死30人、流家49軒に及んだ。 続きを読む

昭和20年の枕崎台風

昭和20年(1945)9月、枕崎台風により大災害で、被害は死傷者152人、流失家屋388戸、全壊家屋1,634戸、田畑の流失・埋没697町に達した。 続きを読む

昭和10年の洪水

昭和10年(1935)9月、肱川の増水量は大洲の量水標の水位で15.5尺であったが、肱川中下流の低地は泥海となった。 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)、金生川の大水により、葱尾、椿堂、石川で家屋10数戸、田畑5haが流された。川原田橋付近の堤防が数m切れ、川之江町馬場から川之江河口まで堤防が切れた。古川側は水が家の軒まで来た。 続きを読む

大正8年の洪水

大正8年(1919)、金生川の大水により、鉄砲町、古町、川原町が水浸しになった。 続きを読む

元文4年の洪水

元文4年(1739)、洪水により、総社川の左岸の高橋村、右岸の中寺・八町・郷などの村々が堤防決壊のため大きな被害を受けた。 続きを読む

延宝元年の洪水

延宝元年(1673)6月27日、大洪水に際して石手川の堤防が決壊し、城下町の町分はもちろん、西堀端あたりは水勢が激しく、人々は堀の土手に避難したと伝えられる。 続きを読む

享保6年の洪水

享保6年(1721)閏7月14日から15日にかけて、石手川の洪水の被害が甚大で、家中の侍の過半数が水防のため出動したほどであった。この年の洪水による被害は田畑3,716町歩余に及び、35,065石余の損毛であった。松山藩では、家中の侍に対し、知行高100石につ... 続きを読む

昭和45年の台風10号

昭和45年(1970)8月21日、台風10号により未曾有の豪雨に見舞われ、豊田川流域では大災害を受けた。(双海町奥東の災害復旧碑の碑文による) 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月10日から3日間雨が降り続き、13日には川之江の町内各所で金生川の洪水により町内は泥海と化した。家屋の浸水はほとんど全町に及び、床上浸水が多く、中には家屋の倒壊や家財の流失もあり、負傷者も出た。また、田畑の浸水もほとんど全域に及び、橋梁... 続きを読む

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