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明治21年(1888)9月11日、昨夜来の大雨で横川(横河原)の堤防が破損し、田窪村の東南に水が襲来したため、人々は水防に当たった。樋口村の字百軒と称する堤防が決壊し、横川(横河原)全域がほとんど浸水した。水勢は2つに分かれ、一つは志津川村の中央駅中の各家庭を... 続きを読む
明治26年(1893)10月14日、昨夜の雨が激しく、重信川は大出水となった。田窪の人々は拝志側に、見奈良の人々は横川(横河原)西堤防に参集して水防に当たり、薄暮に川の東に沿う堤防が決壊したため、水は彼方に傾き、我が居村(見奈良)は事なきを得た。(「相原日記」... 続きを読む
明治29年(1896)8月16日午後より雨が降り始め、17日まで大雨となり、18日朝3時頃東風が起こり、風雨が強まり、午前8時過ぎから風向が南に変わり、やがて西に移り風雨が激しくなった。正午過ぎに横川(横河原)の西堤防(志津川分)数十軒が破壊され、水は見奈良の... 続きを読む
明治34年(1901)6月30日、前日来雨が降り続き、夜に入って重信川は非常出水となり、横川(横河原)の西堤防が決壊した。(「相原日記」による) 続きを読む
明治34年(1901)7月15日、前日来の雨が降り止まず、再び過日(6月30日)決壊した横川(横河原)の西堤防より大水が入り、見奈良、田窪を襲い、鉄道が所々決壊した。(「相原日記」による) 続きを読む
明治35年(1902)8月11日、昨夜横川(横河原)の西堤防が決壊し、大水が見奈良に入った。また、ステーション(横河原駅)の東も切れ、水は内分に入り込み、婦女子が狼狽したが、これは堤防の復旧工事が不完全なために起こった被害であった。水害に関係のない樋口、志津川... 続きを読む