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元禄6年(1693)4月から日照りが続く中、6月23日から慈雲寺の日栄と妙禅が法華経の読経、平田源治や平田家に仕える諸氏、大野原村内の組頭らが八幡宮に参籠し祈祷していると、25日昼降雨があり、その後、7月3日から御礼法楽の相撲準備を進めていたところ、7月5日に... 続きを読む
寛文2年(1662)、大干ばつに見舞われた。田はひび割れ、稲は枯死して収穫はゼロであった。ところが、築造から7年間の平屋池を持つ井ノ口新田は、平年作を上回る豊作であった。このため、比地大村の百姓は、京極藩に新池築造を願い出て、藩は郡奉行勝田五郎兵衛に新池築造を... 続きを読む
大正9年(1920)及び大正10年(1921)、大干ばつ。2年連続の大干ばつにより、近代式のため池の必要性が高まり、農民の声となった。その農民の熱意が実り、豊稔池が大正15年に着工、5年の年月と15万人の労力を投入して昭和5年に完成した。 続きを読む
昭和14年(1939)は、香川県全域にわたり田植期に干天が続き、干害による被害が多かった。8月31日には満濃池が渇水となり、9月7日は県が児童に対して、日の出と日没前に土瓶水を稲田に配水するよう通達したとの記録がある。 続きを読む
昭和14年(1939)6月30日~9月9日の72日間の雨量はわずか36.4ミリで、水稲成育に障害をきたした。7月下旬には県下各地のため池の貯水は極度に減少し、田面は亀裂を生じて枯死する水稲が続出した。7月23日には、藤岡知事自ら祭主となり、関係者30余名ととも... 続きを読む
明治25年(1892)、豪雨により、那賀町(上那賀町)大戸の高磯山で大崩壊が発生し、約400万立米の崩壊土砂が那賀川を堰き止めて天然ダムを形成し、2日後に決壊して那賀川一帯に大洪水を引き起こした。(「四国山地の土砂災害」による)(田村俊之・西山賢一) 続きを読む
昭和51年(1976)9月9日~13日、台風17号による降雨のため、穴吹川流域を中心に多くの斜面災害が発生した。また、降雨は剣山の周辺部に多く、南麓の木沢村や木頭村でも多くの土砂災害が発生した。特に黒瀬川構造帯という中生代から古生代の破砕された地質に分布する山... 続きを読む
昭和50年(1975)8月23日午前1時頃、台風6号が徳島県東岸を通過し、淡路島を穂北東方向に進んだ。この台風により、剣山から雲早山(くもそうやま)にかけての四国山地沿いでは20日~23日に800ミリ前後の降雨があった。このため、木頭村から脇町にかけて土石流や... 続きを読む