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昭和14年(1939)5月、6月には降雨がほとんどなく、植え付け不能田も多く、7月中旬には旱害が出始めた。さら8月25日頃から9月初めに熱風が吹き、急激に稲が枯死、被害甚大となった。この干ばつでは、7月23日県知事が滝宮天満宮で雨乞い祈願を行い、8月3日は県下... 続きを読む
昭和36年(1961)10月26日~27日、低気圧が発達しながら四国東部を通り北東に進んだため、引田町は雨量331ミリの集中豪雨に見舞われた。第二室戸台風の被害を受けていた小海川をはじめ、河川は各所で氾濫し、堤防の決壊、橋の流出が続出した。山崩れ、家屋の浸水な... 続きを読む
大正13年(1924)6月~8月、空梅雨の上、土用照り込みにより、雨量は平年の30%で、少雨干天が続いた。特に6~7月は高温少雨のため、農作物の被害が甚大であった。8月17日~24日に誉田神社で雨乞い祈祷が行われた。(香川県、高松気象台、引田町等の資料による) 続きを読む
昭和51年(1976)9月、台風17号により、小豆島では死者39人、重軽傷者80人、家屋全壊215戸、被害総額1,000億円を超える被害が出た。このうち、池田町谷尻地区では土砂崩れにより25人の死者を出した。写真2枚。 続きを読む
昭和6年(1931)9月18日、豪雨のため山津波が生じ、伊豆川、森庄川、丹波川、吉田川などほとんどの河川が全滅した。このため、死者5人、家屋の流失・半壊70棟、耕地の埋没・流失14町歩に及び、その他道路橋梁の損害、浸水の被害が甚大で、福田村創始以来の惨害となっ... 続きを読む
昭和51年(1976)9月の集中豪雨は、継続雨量1,400ミリに達した。山津波が島内各地で起こり、流木、土砂が河川を埋没・決壊させ、濁流が流域の家屋、田畑を押し流した。苗羽地区では人命の犠牲はなかったが、被害は甚大であった。(苗羽の「被害復興之碑」の碑文による... 続きを読む
昭和51年(1976)9月8日からの連日の降雨は1,400ミリに及び、小豆島東部に壊滅的な被害を与えた。西城地区でも11日に819ミリの集中豪雨となって、山津波を起こし平山池をも一挙に決壊させ、ほとんどの家屋が流出、埋没、床上浸水を蒙った。(西城の「大水害復興... 続きを読む