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天平6年の地震

天平6年(734)4月7日、地震により、死者山崩れ多し(伊賀地方か)。(「理科年表」による)/「続日本紀」に「百姓の家壊れ圧死者多く山崩れ河ふさぎ地往々裂けあげて救うべからず」とあり、「阿波志」にも同文を載せているが、震央が遠くまた非常に強くなかったので本県へ... 続きを読む

元文5年の風雨

元文5年(1740)7月1日、大洪水損亡51,430石余、山崩れ圧死男4人、女2人、流死牛1頭。(「徳島県史料年表」による)なお、「徳島県史料年表」によると閏7月1日となっているが、同日は越前、美濃に風雨あり、7月1日は讃岐が風雨なので、7月1日とする。 続きを読む

仁和3年の地震

仁和3年(887)7月30日、地震により、庁舎転倒し、津波あり死傷多し。(「理科年表」による)/本県の記録はないが、次の記事でその規模が分かる。「三代実録」によると「申刻地大いに震動す数刻を経て尚止まず、東西京の家往々転ぷく圧死する者多し或は失神頓死する者あり... 続きを読む

寛延元年の干ばつ

寛延元年(1748)6月~8月、干ばつ。/干天17日に及ぶ。(「野村文書」による) 続きを読む

仁平3年の干ばつ

仁平3年(1153)、干ばつにより、阿波、土左等7国稔らず。(「台記」による) 続きを読む

寛延元年の風雨

寛延元年(1748)7月22日夜半より北東から北風吹き、雨も中水となった。北方は50年来にもない大水、山潮といい、牛馬、人等大分流れ、この海沖には流れてきた。(「野村文書」による) 続きを読む

明和3年の干ばつ

明和3年(1766)6月~8月、大干、禾枯る。(「蜂須賀家記」による)/6月~8月、御国干ばつ、107,636石余損毛。(「徳島県史料年表」による) 続きを読む

永正9年の津波

永正9年(1512)8月4日、津波。ただし、この日は地震も風水害もなく、あるいは外国地震による津波か。「宍喰浦旧記」には「八月洪浪入みち右所の分残らず流失いたし候、其節所の城山へにげ上がる者数十人なり、南の橋より向の町分も残らず流失、然れども此所は山近故多くの... 続きを読む

明和4年の干ばつ

明和4年(1767)夏秋、大干、傷禾。(「蜂須賀家記」による)/6月、7月中、御国干ばつ、77,000石余御損毛。(「徳島県史料年表」による) 続きを読む

天平5年の干ばつ

天平5年(733)、旱害あり五穀実らず大税免除(徳島県の災害)。 続きを読む

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