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昭和54年7月の斜面崩壊

昭和54年(1979)7月20日9時30分、柳谷村の国道33号で約3,000立米の斜面崩壊があり、路面を約30mにわたって閉塞したため、国道33号は1ヶ月余り全面通行止めとなった。崩壊現場では昭和54年4月にクラックが発見され、崩壊の発生が予想されて事前に通行... 続きを読む

天保10年の干ばつ

天保10年(1839)6月~7月、干ばつにより、不熟損毛、田畑3,435町歩。(大洲領の災害) 続きを読む

昭和54年8月の斜面崩壊

昭和54年(1979)8月27日12時55分、柳谷村の国道33号で約1,000立米の斜面崩壊があった。崩壊後の現場の写真が掲載されている。 続きを読む

天明5年の干ばつ

天明5年(1785)5月~7月、雨が極めて少なかった。各地で潤雨御祈祷を実施した(宇和島領)。風早郡では稲の植え付け不能の水田もあった。所々で雨乞い祈祷が行われた。(松山領) 続きを読む

享保6年の大雨

享保6年(1721)閏7月14日頃から大雨となり、翌15日には出水のため石手川の堤防が決壊し、各地は洪水となった。被害は田畑の砂入・汐入・水押3,716町余、石高35,065石余損毛、浜手・池川の堤防決壊117,141間、流家・潰家・半潰889間、死者男40人... 続きを読む

天明6年8月1日の洪水・山崩れ

天明6年(1786)8月1日~2日、津島方で洪水、下灘浦で山崩れ5人死亡、遊子谷村(城川町)で男1人流死(宇和島領)。 続きを読む

寛延3年の干ばつ

寛延3年(1750)、干ばつにより、損毛42,059石余。(「松山年譜」による) 続きを読む

天明7年4月の洪水

天明7年(1787)4月25日、洪水により田799町余、畑364町余破損、山崩れにより遊子浦で3人、九島で1人、奥浦で6人死亡(宇和島領)。肱川洪水(大洲領)。 続きを読む

天保3年の干ばつ

天保3年(1832)7月~8月9日、大干ばつにより、宇和島・大洲・新谷・西条領等で被害が大きかった。 続きを読む

享保14年の干ばつ

享保14年(1729)6月22日、干ばつ。(大洲領の災害) 続きを読む

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