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平成6年の干ばつ

平成6年(1994)梅雨の時期から夏にかけて極端に降水量が少なかったため、ダムの水はもちろん、地下水まで減少し、松山市をはじめ伊予市、松前町などで給水制限が行われ、産業や家庭、学校など社会に大きな影響を及ぼした。台風の時期にも期待した雨量が得られず、ついにダム... 続きを読む

天保10年の干ばつ

天保10年(1839)6月~7月、干ばつにより、不熟損毛、田畑3,435町歩。(大洲領の災害) 続きを読む

昭和54年の斜面崩壊

昭和54年(1979)、柳谷村洞門箇所で約3,000立米の斜面崩壊が発生し、国道33号は1ヶ月余り不通となった。 続きを読む

天明5年の干ばつ

天明5年(1785)5月~7月、雨が極めて少なかった。各地で潤雨御祈祷を実施した(宇和島領)。風早郡では稲の植え付け不能の水田もあった。所々で雨乞い祈祷が行われた。(松山領) 続きを読む

昭和54年7月の斜面崩壊

昭和54年(1979)7月20日9時30分、柳谷村の国道33号で約3,000立米の斜面崩壊があり、路面を約30mにわたって閉塞したため、国道33号は1ヶ月余り全面通行止めとなった。崩壊現場では昭和54年4月にクラックが発見され、崩壊の発生が予想されて事前に通行... 続きを読む

天明6年8月1日の洪水・山崩れ

天明6年(1786)8月1日~2日、津島方で洪水、下灘浦で山崩れ5人死亡、遊子谷村(城川町)で男1人流死(宇和島領)。 続きを読む

安政2年の干ばつ

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安政2年(1855)、大干ばつに際して、三島・中曽根・松柏村の庄屋らが今治藩三島代官所に、銅山川の水を宇摩平野の導水することを請願した。 続きを読む

寛文9年の干ばつ

寛文9年(1669)、干ばつのため、松尾村(今治市五十嵐松尾)の庄屋八右衛門が減租嘆願をするため江戸に上り、在府中の藩主定房に直訴した。 続きを読む

大正13年の干ばつ

大正13年(1924)、大干ばつのため、金田・上分両地区の水が枯れ上がり、せっかく育てた稲も枯死寸前に陥った。涼川の源泉も枯れ始め、下流にまで流れることがほとんどなくなった。金田側と上分側の間に水争いが起こったため、宇摩郡長と三島警察署長が調停を行った。 続きを読む

大正3年の干ばつ

大正3年(1914)、大干ばつのため、石手川では特定の井堰から時間を限って集中的に取水する大寄せ水が行われた。すなわち、一ノ井手・草葉両堰で34時間、寺井堰で51時間、徳力・小坂・斉院樋の3堰で25時間、中村・立花・佐古3堰で10時間の配分で、120時間(5日... 続きを読む

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