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享和3年(1803)、小沢川村と波岡村の間で水論が起こったが、小沢川下井手から波岡一の井手へ5分(半分)宛分水することで一応落着した。しかし、その後も争いは続き、明治18年(1885)の大審院の判決で、ようやく決着した。 続きを読む
明治32年(1899)8月28日、東予地方に暴風雨が襲来し、水害や土砂災害をもたらした。この災害について、この稿では以下の記録が紹介されている。「東指宛池坊専啓書簡」、「下泉・秋葉家記録」、「水害記念之碑」、「広瀬家文書」、「土居町北野村・岡田政助文書」、「I... 続きを読む
元禄16年(1703)夏、旱天のため、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村・南神崎村・上野村(松山領)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。7月21日夜、下五ヶ村の農民が、重信川の流水を両麻生村に引... 続きを読む
宝暦11年(1761)、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村(松山領)・南神崎村・上野村(幕府直轄地)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。この年、南神崎村・上野村の両村が松山領から幕府直下地になっ... 続きを読む
明和7年(1770)、大干ばつ、作り方皆無。御領中飢人おびただしく路頭に迷い、卯の春にかけ諸方御祈祷施行あり、おそろしきこと。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む