検索結果

29860件のアーカイブスが見つかりました。

条件:

年代順で並び替える : |

享和3年の水論

享和3年(1803)、小沢川村と波岡村の間で水論が起こったが、小沢川下井手から波岡一の井手へ5分(半分)宛分水することで一応落着した。しかし、その後も争いは続き、明治18年(1885)の大審院の判決で、ようやく決着した。 続きを読む

寛政11年の干ばつ

寛政11年(1799)5月17日より8月18日まで照り続き(6月11日に小雨)、大干ばつ。田畑皆無同様の作方。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

文化12年の干ばつ

文化12年(1815)、八幡河原にて千人踊。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

天保3年の干ばつ

天保3年(1832)、宮ノ下川原にて千人踊。祈祷多数。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

天保13年の干ばつ

天保13年(1842)、八幡川原にて千人踊。祈祷多数、8月8日潤雨。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

明治32年の台風

明治32年(1899)8月28日、東予地方に暴風雨が襲来し、水害や土砂災害をもたらした。この災害について、この稿では以下の記録が紹介されている。「東指宛池坊専啓書簡」、「下泉・秋葉家記録」、「水害記念之碑」、「広瀬家文書」、「土居町北野村・岡田政助文書」、「I... 続きを読む

弘化3年の干ばつ

弘化3年(1846)、御祈祷。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

元禄16年の干ばつ

元禄16年(1703)夏、旱天のため、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村・南神崎村・上野村(松山領)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。7月21日夜、下五ヶ村の農民が、重信川の流水を両麻生村に引... 続きを読む

嘉永6年の干ばつ

嘉永6年(1853)、八幡川原にて千人踊。雨祈祷多数。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

文久元年の干ばつ

文久元年(1861)、宮ノ下川原にて千人踊。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による)/文久元年(1861)は干ばつであったが、2回の慈雨によりかろうじて干損を免れた。吉田藩三間の是房村旧庄屋毛利家には干ばつの記録「旱魃日記」が残されている。... 続きを読む

1 2,745 2,746 2,747 2,748 2,749 2,750 2,751 2,752 2,753 2,754 2,755 2,986