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宝暦11年の水争い

宝暦11年(1761)、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村(松山領)・南神崎村・上野村(幕府直轄地)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。この年、南神崎村・上野村の両村が松山領から幕府直下地になっ... 続きを読む

宝暦11年の干ばつ

宝暦11年(1761)、干ばつのため、温泉郡南吉田村と伊予郡余戸村・垣生(はぶ)村の間で水争いが起きた。 続きを読む

推古13年の地震

推古13年(605)、地大いに震い、道後温泉没す。 続きを読む

宝暦14年の干ばつ

宝暦14年(1764)、干ばつのため、温泉郡南吉田村と伊予郡余戸村・垣生(はぶ)村の間で水争いが起きた。 続きを読む

推古36年の地震

推古36年(628)、道後温泉塞がり、3年を経て再び出る。 続きを読む

寛政11年の干ばつ

寛政11年(1799)、干ばつのため、温泉郡南吉田村と伊予郡余戸村・垣生(はぶ)村の間で水争いが起きた。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、大干ばつ、作り方皆無。御領中飢人おびただしく路頭に迷い、卯の春にかけ諸方御祈祷施行あり、おそろしきこと。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

天明5年の干ばつ

天明5年(1785)5月20日から7月10日まで照り続き、大干ばつ。雨乞い祈祷多数。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

明治10年の水論

明治10年(1877)、新居郡洪水郷の角野(すみの)・泉川両村間で水論。(「近藤晴清「愛媛県国領川流域における水利の歴史地理学研究」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)春期以来、干ばつにより、東宇和郡上宇和村久枝と永長で水論。(「灌漑水利権-ふけ川水論」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

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