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昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)6月~9月、旱害により、中南予で果樹などに被害。中山の4ヶ月間総雨量は453ミリを記録し、中山町でも被害があったと思われる。 続きを読む

安政3年の干ばつ

安政3年(1856)、大干ばつのため、上井手の掘り浚えをめぐって徳丸村と森松村の間で紛争が起こったが、代官の取り計らいで和解をみた。 続きを読む

昭和43年の日向灘地震

昭和43年(1968)4月1日、日向灘地震により、松山で震度4。中山町でも被害があったと思われる。 続きを読む

元禄16年の水論

元禄16年(1703)、大干ばつに際し、水の少ない神崎・上野・徳丸・出作・八倉の下5ヶ村では稲の生育が危ぶまれた。このため、5ヶ村の農民は7月21日夜に古樋井手の樋を切り割って、一ノ井手に水を落とした。これに対して麻生村の農民が抗議して、水論が7日間に及んだが... 続きを読む

昭和43年の地震

昭和43年(1968)8月6日、地震により、大洲・宇和島で震度5、松山で震度4。家屋の亀裂が多数にのぼった。中山町でも被害があったと思われる。 続きを読む

享保9年の水論

享保9年(1724)、大干ばつのため、古樋の筧(かけい)を切り落とすか否かで争いが起こったが、村役人の仲裁で大事にはならなかった。この時、この筧に添え木を打ち、定法について協定を結んだ。 続きを読む

昭和44年の干ばつ

昭和44年(1969)8月~11月、旱害により、南予で果樹などに被害。中山の4ヶ月間の総雨量275ミリを記録し、中山町でも被害があったと思われる。 続きを読む

宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)、干ばつのため水論が起こった。この年、南神崎・上野村(のちの宮下村)が幕府領になったため、両村の農民が公領を鼻にかけ、これに徳丸・出作・八倉村を加えた下5ヶ村が享保9年の定法を無視して、古樋の筧を切り落とし、さらに麻生村に乱入して狼藉の限... 続きを読む

昭和53年の干ばつ

昭和53年(1978)7月~10月、旱害により、県下全域で雨量が少なく、農作物に被害。中山の7月雨量は29ミリで、中山町でも被害があったと思われる。 続きを読む

昭和58年の干ばつ

昭和58年(1983)7月22日~9月25日、旱害により、県下全域で農作物に被害大。中山の期間総雨量は82ミリで、中山町でも被害があったと思われる。 続きを読む

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