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安政元年の南海地震

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安政元年(1854)、南海地震津波により、土佐市宇佐町では家屋がほとんど流失し、70余人の死者を出した。この論文では、宇佐町を対象として、安政級のM8.4の津波を想定した現況港湾施設の安全性について、数値計算により検討を行っている。 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)、南海地震津波により、土佐市宇佐町では家屋流失341軒、死者1人を記録した。この論文では、宇佐町を対象として、安政級のM8.4の津波を想定した現況港湾施設の安全性について、数値計算により検討を行っている。 続きを読む

昭和35年のチリ地震津波

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昭和35年(1960)5月24日早朝、前日にチリ沖で発生した地震による津波が毎秒200mの早さで日本の太平洋沿岸に来襲した。高知県地方では午前5時頃から津波が押し寄せ、須崎市の第一波は4時55分とされている。7時35分に襲来した5回目の津波は湾口で2m程の... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日4時19分、南海地震が発生し、津波が襲来した。同年12月28日集計結果によると、高知県の被害は死者670人、負傷者1,836人、家屋の全壊4,834戸、半壊9,044戸、流失566戸、浸水5,608戸、焼失196戸、浸水田... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、南海地震が発生し、津波が襲来した。高知県の被害は死者372人、家屋の流失3,818戸、焼失3,301戸等に及んだ。本書では安政南海地震の体験記・見聞記を紹介している。また、安政南海地震と宝永地震、昭和南海地震との比較も行って... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、南海道沖と東海道沖でM8.4の二つの巨大地震が発生した。土佐の国では大地震と大津波によって、山崩れ、崖崩れ、地割れ、液状化現象などが生じ、被害は死者1,844人、家屋の流失11,170軒、倒壊4,866軒、半壊1,742軒な... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)、南海道沖を震源とする地震により、須崎湾は津波の被害を受けた。この論文では、須崎湾を対象として、数値計算を応用した水理模型実験を行うことにより、湾内の津波波形では波のピークが分裂し複数のピークが出現すること、湾口部のはく離によって渦が生じ... 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)10月4日、地震が起こり、津波が来襲した。この論文では、宝永地震・津波に関する石碑として、西町大善寺麓の二ツ石大師境内の地蔵、青木町の津野神社前の地蔵、大善寺墓地の宝永津浪溺死之塚を紹介し、碑文の解説等を行っている。 続きを読む

天武天皇13年の地震

白鳳13年(684)10月14日、地震が発生した。日本書紀によると、人定(午後10時)にいたって「山崩れ河湧き、諸国の郡の官舎及び百姓の倉屋、寺塔、神社、破壊之類あげて数うべからず」とあり、これにより人畜の死傷も多数に及んだようである。また、「時に伊予の温... 続きを読む

仁和3年の地震

仁和3年(887)7月30日、M8.6の地震が発生した。建築物の倒壊、多くの死傷者を出した。津波を伴っているので、外側地震帯の活動であることは間違いない。土佐でも被害が起こっているはずであるが、当時の事情を伝える口碑、言い伝えはほとんど残っていない。 続きを読む

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