検索結果

29860件のアーカイブスが見つかりました。

条件:

年代順で並び替える : |

安政元年6月の地震

image

安政元年(1854)6月14日夜9ツ時(12時)、地震により、満濃池の改築した樋に水漏れができ、そのため堤防が損傷し、7月9日に決壊し、洪水となった。満濃池は、明治3年(1870)6月3日の改築完成まで、15年間全くの廃池となった。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、大地震が発生した。「高松藩記」によると、地裂け水湧き、干してあった稲を流し、五剣山の一峯が崩れ、墓石ことごとく倒れたとあるので、地盤の弱い津田では甚大な被害があったと思われる。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、5日に大地震が起こった。「高松藩記」には、人家の倒壊3,000余戸、人々は草舎をつくって十数日寝床としたなどと記されている。11月4日は朝5ツ時(8時)に地震が起こり、その後も余震がひどかったので、どこの家でも戸外に逃げ出し... 続きを読む

寛政元年の地震

寛政元年(1789)4月16日、大地震があり、堤防の決壊があった。(「庄屋記録」による) 続きを読む

安政元年6月の地震

image

安政元年(1854)6月14日夜9ツ時(12時)、地震により、満濃池の改築樋に水漏れができ、それが原因で7月9日に堤防崩壊した。以来、明治3年に改築されるまでの15年間、満濃池は廃池となった。なお、この地震による人畜の損害はなかった。 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月5日から6日にかけて、大地震があった。「富田有馬右衛門三郎が藩へ報告した記録」によると、「志度浦、津田浦大痛に候へども、怪我人は御座無く候。鶴羽浦御蔵所無事に候。総体山分はゆるやかの事に候」とある。また、「日記風の文」によると、「霜月... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日5ツ時(午前8時)に大地震があり、また7ツ時(午後4時)長い揺れの地震が起こった。新開地などには亀裂が生じ、家屋は傾き、土壁は崩れ、人々は戸外に逃げ、竹やぶに隠れた。高松藩記によると、領内で人家の倒壊3,000余戸に至り、人々... 続きを読む

安政6年の地震

安政6年(1859)12月23日、大地震があった。古老の言い伝えによると、恐怖のあまり、竹やぶ、浜辺などに仮小屋を建てて避難したという。 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前4時20分から15分にわたって地震が起きた。鉄道が各所で不通となり、最も被害の甚だしかった高松市内では死者24人、家屋の全壊174戸、半壊514戸に及んだ。(「四国新聞」による) 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前4時20分、大地震が発生した。津田町では山口町、本町、伊勢町、東町、中町方面で特に被害が甚大で、屋根瓦の崩落、燈籠・土塀・墓石の倒壊のほか、鶴羽西代川の右岸と高徳線西町踏切より相地寄り50mの地点では地割れができた。また、... 続きを読む

1 2,970 2,971 2,972 2,973 2,974 2,975 2,976 2,977 2,978 2,979 2,980 2,986