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明治5年の洪水

明治5年(1872)10月1日午頃から降り出し、吉野川は2日夜半大水となり、北島堤防が切れた。死者100人余。明治7年2月より堤防普請して、旧土手より5尺程高くなった。(西川田の尾上利平氏記録による) 続きを読む

明治3年の洪水

明治3年(1870)9月、吉野川洪水。 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)8月7日、吉野川洪水により、北島・西川田舟戸間の堤防が切れ、溺死者数十人に及んだ。「寅年のあほお水」と呼ばれた。(「川田町史」による) 続きを読む

嘉永2年の洪水

嘉永2年(1949)7月10日、吉野川洪水。 続きを読む

弘化4年の洪水

弘化4年(1847)8月、吉野川洪水。 続きを読む

享和元年の洪水

享和元年(1801)、喜来は大水で河原となった。吉野川が西崎より切入、河原となった。(上田氏文書による) 続きを読む

昭和19年の洪水

昭和19年(1944)、川田川の堤防が川田字島で西側に切れた。 続きを読む

昭和13年の洪水

昭和13年(1938)頃、川田川の堤防が鉄橋の上流200m位の所で東側に切れた。このため、鉄道が山川駅東小鉄橋の所で被害を受け、消防組が徹夜で復旧作業をした。 続きを読む

明治18年の洪水

明治18年(1885)5月7日、川田川の毘沙門(川東北)の堤防が切れた。この堤防の復旧強化には多くの金と人を要したので、この堤防は「金食土手」と呼ばれた。 続きを読む

寛政3年の洪水

寛政3年(1791)8月20日、川田川の堤防が中御前神社あたりで西側に切れた。拝殿が流失したが、壊れず、藪中に北面して立っていた。その後、復旧工事中に、その付近の土中から大小の土器2枚が出土したため、御遷宮の際に奉納した。(川田名跡誌」による) 続きを読む

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