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宝永4年(1707)、わが国最大級の地震が発生した。本研究では、宝永地震津波による土佐国沿岸の村落の被災状況を記述した「谷陵記」をもとに、津波によって海水が及んだ限界点が明記されている記載例を抜き出し、それぞれの現場でGNSSを利用した測定機器により位置及び高... 続きを読む
寛文元年(1661)7月20日、鏡川の洪水が江の口川の上流部のどこかに流入したため、上町の袋町に洪水が浸入し、郭中境の新越戸付近の堤防が危険な状態となり、江の口川の橋は流失したという記録が残されている。小高坂・江の口の人家や田畑も広く深く浸水していたと推測され... 続きを読む
天保7年(1836)8月3日、江の口堰の水門の閉め忘れにより、江の口堰の水門より流入した鏡川の洪水は井口、小高坂、江の口に溢れ、愛宕町、へち町、七軒町、寿庵屋敷、蔵屋敷付近一帯は床上浸水であった。また、井口永福寺橋から尾戸橋までの7つの橋がすべて流失した。 続きを読む
安政2年(1855)7月14日、大雨による洪水が、安政地震直後の高い潮位と重なり、高知城下全域は広く深く浸水した。江の口川は常通寺橋まで潮水が到達し、大川橋、七軒町は川同様になり、愛宕町をはじめ江の口の田畑は浸水し、丑之助堤も決壊した。 続きを読む
慶応2年(1866)8月15日、鏡川の雁切橋付近の堤防が大破して田畑に浸入した洪水と、五丁目南の霞堤から浸入した洪水が思案橋から北に流れ、井口・小高坂の家屋は深く浸水した。江の口もかなりの浸水家屋があった模様である。 続きを読む