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昭和14年の干ばつ

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昭和14年(1939)、梅雨入りより干天続きで未曾有の大干ばつとなった。多度津測候所の降水量は7月28.4ミリ、8月5.3ミリ、坂出では7月15.7ミリ、8月2.8ミリと極めて少なかった。藤岡長敏県知事は、7月23日滝宮天満宮で、8月1日城山神社で雨乞い祈願を... 続きを読む

平成6年の干ばつ

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平成6年(1994)7月中頃から、渇水状況になり、理事や水利監督などは7月13日から9月30日の間、朝夕見回りを続け、田子たちも7月19日から9月5日まで、各用水路ごとに昼夜を分かたず水当番をつけて水の有効利用に全員が協力した。また、関係者の協力により、宇多津... 続きを読む

昭和14年の干ばつ

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昭和14年(1939)、干ばつのため、8月下旬には県下のため池には貯水がなくなり、仁池も最後の配水について理事、水利監督などが協議し、上法と富熊のどちらからかん水するかをくじで決め、上法が先になった。8月28日、29日(24日、25日とも言われる)に上法地区は... 続きを読む

文政6年の干ばつ

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文政6年(1823)、大干ばつ。岡田の大庄屋・木村甚三郎は父又左衛門の遺志を受け継いで、打越下池の新築を請願した。文政10年2月に打越下池の新築の許可を得て着工し、同12年4月に竣工した。(「木村家文書」による) 続きを読む

文化14年の干ばつ

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文化14年(1817)、大干ばつ。岡田の大庄屋・木村又左衛門が打越下池の新築を請願した。(「木村家文書」による) 続きを読む

寛政12年の干ばつ

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寛政12年(1800)10月、土地の干ばつが引き続くことを憂い、岡田の大庄屋・木村又左衛門が打越下池の新築を請願するも許可ならず、引き続き再三再四請願に及んだ。(「木村家文書」による) 続きを読む

昭和30年の水利紛争

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昭和30年(1955)8月、打越池への取り入れ口である札の辻堰で、水利紛争が起こった。土器川の本流が近年しだいに左岸寄りに流れるようになったことを理由に、岡田側が従来の慣行を無視して堰堤を左岸の堤防まで延長したのに対し、吉野側が今で土器川の伏流水を取水していた... 続きを読む

文政6年の干ばつ

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文政6年(1823)、大干ばつ。鵜足郡の大庄屋・木村甚三郎は父又左衛門の遺志を受け継いで、打越下池の新築を藩に願い出、請願を続けること4年、文政10年に許されて着工し、同12年に竣工した。工事は高松藩の郷普請で行われ、鵜足郡全域から人夫約65,000人が動員さ... 続きを読む

寛永3年の干ばつ

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寛永3年(1626)閏4月7日、大風雨、4月から7月中旬まで雨が降らず、餓死者が続出した。(「弘化録」による)/干ばつの被害を防ぐためには農業用水の確保が不可欠であり、坂本郷大庄屋を中心にため池の築造が藩に要請され続け、寛永11年(1634)から6年の歳月をか... 続きを読む

明治27年の干ばつ

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明治27年(1894)、干ばつにより、水稲が枯死した。土岐六蔵は小津森池の増築を計画し、明治27年9月に着工、翌年3月に竣工した。(「土岐六蔵翁頌徳碑」の碑文による) 続きを読む

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