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昭和39年の渇水

昭和39年(1964)8月、日照り続きで松山市の上水道と工業用水は水不足となり、上水道は22日午前9時から午後4時までの7時間断水、工業用水も12万トン/日から10万トン/日に減らさざるをえない状態となった。その後、面河ダムの工業用水から転用することができ、断... 続きを読む

元禄14年の干ばつ

元禄14年(1701)、大干ばつのため、雨乞い祈祷を行うと直ちにご利益があって雨を得た。(高縄寺の山号額碑文による) 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

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宝暦12年(1762)春から雨が十分ではなく、5月に入っても降らず、今治藩内の北方では池の水がないため蒼社川の水を落として漸く田植えを行った。このため別宮大山衹神社で雨乞いをすることになり、酒と弁当を支給して350人ほどで2夜3日の雨乞い踊りを行った。 続きを読む

天保3年の干ばつ

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天保3年(1832)6月15日から8月まで雨降らず、大井八幡、九王竜神、遍照院で雨乞い。(「加茂社記」による) 続きを読む

文政6年の干ばつ

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文政6年(1823)6月、大日照、松山千人踊り。加茂社で雨乞い、郡方10俵、西12ヶ村5俵。(「加茂社記」による)/重信川河原で水喧嘩、2,000人。(「松山叢談」による) 続きを読む

寛文3年の干ばつ

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寛文3年(1663)7月、大山寺、久万で雨乞い踊り、道後八幡で雨乞い。(「松山叢談」による) 続きを読む

享保8年の干ばつ

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享保8年(1723)5月~6月、前年末以来雨少なし、道後八幡社で雨乞い。諸郡より雨乞い踊り。(「松山叢談」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつ。2年続きの干ばつのため、住民の生活は困窮した。 続きを読む

天和3年の干ばつ

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天和3年(1683)、日照りが続き、川も池も干し上がり、池底には亀裂ができる状態で、田植えだけでなく、苗代の養い水にも事欠き、村の鎮守の神様には雨乞いの人が絶えなかった。 記録によると、5月1日、代官は桑村郡内各村の代表者を鷺森神社に集め、神官に雨乞いの祈とう... 続きを読む

安政2年の干ばつ

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安政2年(1855)、宇摩郡は大干ばつに見舞われ、農民は三島神社、黒蔵淵、水波の峯に出かけて雨乞いをした。庄屋たちは連名で、大川河水利用工事もくろみ書を三島代官所に差し出した。これはノミと鍬で法皇山脈の胴腹をくり抜いて銅山川の水を引き入れようとするもので、銅山... 続きを読む

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