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天明8年(1788)7月26日夜半、豪雨のため、物部村久保高井で大規模な崩壊(土量約220万立米)が発生し、被害は死者28人、流失・埋没家屋28軒に及んだ。この時の被害記録が「南路志」に残されており、これによると崩壊土砂は上韮生川(当時の名称:藤原川・大川)を... 続きを読む
昭和55年(1980)6月18日~19日、前線による大雨のため、大豊町岩原のとうじ山で地すべりが起こり、被害は被災世帯15戸、被災者57人、田埋没470㎡、畑埋没6,440㎡、林地流出12haに及んだ。(吉野川上・中流域の主な土砂災害による)/被災写真が掲載さ... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日、地震が起こり、津波が襲来した。この本には、高知県内の昭和南海地震・津波に関する石碑等として、土佐清水市の唐船島、須崎市・野見海岸の碑、河原恵美須神社の碑、須崎津波碑、須崎八幡宮の碑、原町地蔵堂の碑、土佐市の震災復興記念碑、大... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日、5日、地震が起こり、津波が襲来した。この本には、高知県内の安政地震・津波に関する石碑等として、夜須町・観音山の碑、香我美町・飛鳥神社の石碑、野市町・上岡八幡宮の石碑、南国市・琴平神社の玉垣碑、高知市浦戸・稲荷神社の石柱碑、土佐市... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、地震が起こった。須崎市糺町の宝永津浪溺死之塚には、溺死者400人余と記されている。また、須崎八幡宮の木札には、宝永地震で流失した八幡宮の御輿が伊豆まで流され、返してもらったことなどが記されている。さらに、大善寺大師堂と津野神社入... 続きを読む