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明和3年の干ばつ

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明和3年(1766)7月~8月、干ばつ、八幡宮雨乞い祈祷。 続きを読む

宝暦7年の干ばつ

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宝暦7年(1757)6月、干ばつのため、八幡宮、松林寺で雨乞い祈祷。 続きを読む

享保14年の干ばつ

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享保14年(1729)6月22日、干ばつのため、寿永寺百万遍執行。 続きを読む

明治19年9月の櫛生村災害

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明治19年(1886)9月24日、台風により肱川、その他の河川は氾濫し、流域の各村で家屋流失、田畑の水没、橋の破壊等被害は甚大であった。その中でも櫛生(くしう)村須沢の被害は特にひどかった。この日午後11時頃、須沢川の水源地「谷の奥」の山腹が約270mにわたっ... 続きを読む

安政6年の干ばつ

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安政6年(1859)、宿茂組宮ノ成天神社で雨乞い千人踊り。(「五百木村城廻村永代記録」、「六日市永久録」、「高橋文書」等による) 続きを読む

文久元年の干ばつ

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文久元年(1861)5月9日から毎日天気が続き、組々では雨乞いの祈祷などをたびたび行ったが、効果がなかった。そこで、7月8日に宇都宮神社で、大瀬、村前、五百木、城廻の4ヶ村が大雨乞いを行う取り決めをしていたところ、6日夕方から7日に降雨があったため、雨乞いは延... 続きを読む

嘉永6年の干ばつ

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嘉永6年(1853)、宇都宮神社で雨乞い惣踊り。(「五百木村城廻村永代記録」、「六日市永久録」、「高橋文書」等による) 続きを読む

明和8年の水論

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明和8年(1771)6月8日、南神崎・徳丸・出作・宮之下・八倉の下5ヶ村の農民700人余が古樋井手の筧を引き落としたため、上・下麻生村勢200余名との間で乱闘になった。この矢取川の乱闘で下5ヶ村側に死者2人と多数の負傷者が出た。天領が含まれていたため、関係者が... 続きを読む

明和8年の水論

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明和8年(1771)6月8日、八倉・宮之下・上野・徳丸・出作の下5ヶ村の農民700人が小樋井手を切り落としたため、上・下麻生村勢200余名との間で乱闘になった。この矢取川の乱闘で死者2人と多数の負傷者が出た。宮之下と上野が天領であったため、関係者が備中代官所に... 続きを読む

明治9年の水論

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明治9年(1876)6月30日、干ばつのため下堰側が請求した大落水について、上堰北方がその執行を遅らせたため、下堰側の農民数百人が堰に集結して、堰を切り崩した。双方に負傷者が出た事態を収拾するため、巡査や戸長が仲介に入ったが解決されず、結局、7月7日に下流3ヶ... 続きを読む

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