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貞享2年12月4日の地震

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貞享2年(1685)12月4日、大地震により、道後湯没す。御城郭のうち数箇所が崩れた。(「大日本地震史料(津田家記)」による) 続きを読む

延宝6年の干ばつ

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延宝6年(1678)夏、干ばつにより、万民は大いに苦しんだ。諸寺諸社で雨乞いが行われたものの効験がなかったが、野間の代官であった曾祖杢左衛門が斎戒沐浴して新衣を被り飲食を断って加茂の社に雨乞いしたところ、雲が起こり、雨が降り、その年は豊饒を得るに至った。(「松... 続きを読む

延宝5年の干ばつ・霖雨

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延宝5年(1677)、干ばつのため、石手寺で佳持雲龍に雨を祈らせると効験があった。その後、霖雨により山岸が崩壊して伽藍を埋めた。久松家は佐久間儀左衛門にさらに営ませた。(「伊予温故録(石手寺記録)」による) 続きを読む

慶安2年の地震

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慶安2年(1649)2月5日、伊予、安芸両国地大いに震い、宇和島・松山の二城の石垣が崩れた。(「大日本地震史料」による)/2月19日、予州松山より飛脚が到来して申すには、今月5日、大地震につき、城の石垣20間、塀30間余崩れたとのことであった。20日夜、予州宇... 続きを読む

寛永2年の地震

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寛永2年(1625)3月18日、地震により泉脈が塞がったため、松山城主蒲生忠知が命じて湯神社に祈祷したところ、後に旧の如く湧出した。(「伊予温故録(温泉伝記)」による) 続きを読む

文禄4年の地震

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文禄4年(1595)7月、地震のため、周桑郡北条村字五反地にあった鶴岡八幡神社の社殿が悉く陥没した。このため、村人は今の地(壬生川町)に再建した。(「伊予温故録(鶴岡八幡神社記録)」による) (註)一説に文禄4年4月とするものもあるが、大日本地震史料には同年4... 続きを読む

天文2年の地震・高潮

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天文2年(1533)、地震並びに高潮により、橘神宮神社が埋没したため、同年8月23日に元あった西田村宮の窪(今の西条市)から現在の地(西条市洲之内)に遷宮した。 (註)高潮が地震津波なのかどうかは疑問あり。 続きを読む

慶安2年の地震

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慶安2年(1649)2月5日、M7.1の大地震により、松山城壁や宇和島城の石垣116間が崩れ、民家も破損した。 続きを読む

寛延2年の地震

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寛延2年(1749)4月10日、M7.0の地震(震央は三机沖)により、宇和島城の櫓が破損。この地域でも震害があった。(「愛媛県気象史料」、「愛媛県土地保全資料」等による) 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)、大地震により、道後温泉の湧出止む。(「野村町郷土誌」による) 続きを読む

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