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宝永4年(1707)10月4日、地震があり、特に伊勢、紀伊、土佐、阿波国等太平洋岸では異常な高汐が押し寄せ、海岸地方の被害は特に激甚であった。この時、道後の湯が止まり、松山城の石垣が崩れ落ちた。藩士松平定直は湯神社に朱の鳥居を急造し、冠山に植樹して、山容を整え... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日及び7日、松山で大地震。被害は松山御城内、家中、郷町に及び、本丸石垣孕2箇所、同所塀屋根瓦壁落、二の丸塀屋根瓦壁落、同所石垣孕1箇所、三の丸佳向所々破損、家中屋敷潰・半潰20軒、同土蔵潰・半潰17箇所、組家潰・半潰114軒、町家潰... 続きを読む
明和8年(1771)、大干ばつの時、麻生村の市の井手で外5ヶ村と水論に及び、即死2人、負傷者多し。(「伊予温故録」による)/明和8年、大いに旱して、田畑作枯れ。(「大洲旧記」による)大いに旱す。(「日本気象史料(東宇和郡沿革史)」による) 続きを読む
明和7年(1770)6月、松山で干ばつにつき、味酒社で雲大踊り。(「松山叢談(本藩譜)」による)/夏、干ばつ百日に及び、被害多し。(「日本気象史料(東宇和郡沿革史)」による) 続きを読む
享保17年(1732)、干ばつ及び虫付きのため、7月13日に光林寺に祈祷を命ず。7月19日、米麦を他処へ売ることを禁ず。8月28日、西国大名参観を免ぜられる。(「伊予風水害小史(今治拾遺)」による) 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、大地震につき、御城内所々破損、田503町2反余、家屋その他数々流失、死人8人、半死24人、沖の島(高知県)の死人2人、御城下の家々破損、死人2人。(「伊達城内日記」による)/10月、大地震あり、津波陸上を浸し、所々破損多く、終日... 続きを読む
貞享2年(1685)12月10日、安芸の地大いに震い、伊予にも被害あり。(「大日本地震史料」による)/地震い、各地で被害多し。時々道後温泉黄濁す。(「東宇和郡沿革史」による)/地震により、泥湯湧出後、清湯となる。(「伊予温故録(温泉伝記)」による) 続きを読む