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享和2年の水論

享和2年(1802)、周布郡明穂村と大頭村が川境で水論。(「小松町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

天武天皇13年の地震

白鳳13年(684)10月14日、天下大いに地震して、四国の地にとりても土佐の国の田地50余万頃が海中に没し、道後温泉も泉脈塞がり出ざること久しく、その後またいつとなし出初めのごとし。(「津田家記」による) 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)10月25日、地震により、道後温泉の湯が止まった。 続きを読む

寛延2年の水論

寛延2年(1749)、宇和郡常定寺村と新城村で水論。(「東宇和郡沿革史」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

寛永2年の地震

寛永2年(1625)3月18日、地震により、道後温泉の湯が止まった。 続きを読む

宝暦2年の水論

宝暦2年(1752)、久米方と浮穴方で大水論。(「久米郷土誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

宝暦9年の水論

宝暦9年(1759)、温泉郡南吉田村と伊予郡垣生(はぶ)村で水論。百姓総出。(「愛媛県農業史」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

宝暦10年の水論

宝暦10年(1760)、南高井・北高井の間で水論が激烈。(「久米村誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

元禄6年の干ばつ

元禄6年(1693)、大干ばつにつき、川東組より高柳泉組に分水を交渉し、大水論発生す。(近藤晴清「愛媛県国領川流域における水利の歴史地理学研究」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)、宮ノ下村以下5村、麻生村と水論。(「砥部町誌」、「大洲旧記」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

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