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宝永4年(1707)10月4日午後0時30分、M8.4のわが国最大級の地震が紀伊半島沖で起きた。津波により、宍喰では家屋や蔵、漁具などが流され、男女11人が溺死した。鞆浦では津波の高さは約3mで、3回にわたり襲ったが、死者はなかった。浅川では津波高は9mに達し... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月4日午前9時頃、遠州灘を震源とするM8.4の大地震が起こり、大津波が房総から高知沿岸に襲来した。この地震から32時間後の5日午後4時頃、同規模の南海地震が紀伊半島沖で起こり、房総から九州東岸に至る広い範囲に多くの被害をもたらした。... 続きを読む
昭和19年(1944)12月7日、M8.0の大地震が熊野灘で起こった。津波は伊豆半島から紀伊半島沿岸を襲い、被害は熊野灘沿岸で特に大きかった。徳島でも日和佐で高さ2mを記録したが、被害はなかった。 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日4時19分、紀伊半島沖を震源とするM8.1の南海地震が起こり、地震と津波による被害は中部地方から九州にまで及んだ。徳島県内では南部の被害が著しく、県内の被害は死者202人、負傷者258人、流失413人、全壊602戸、半壊9... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日、地震が発生し、津波が襲来した。本書では以下の昭和南海地震碑に関する情報を掲載している。 ・牟岐小学校横の碑、大牟岐田の児童公園の碑及び史碑、浅川出張所前の史碑及び津波十訓碑、浅川の天神社前の碑。 続きを読む
慶長9年(1604)12月16日、ほぼ同時に2つの地震が起きたとみられ、津波は犬吠岬から九州に至る太平洋沿岸を襲った。阿波鞆浦では波高10丈(約30m)、死者100余人、宍喰では波高2丈(約6m)、死者1,500余人となった。(宇佐美龍夫「新編日本被害地震総覧... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、我が国地震史上最大級の地震が発生した。地震と津波の被害は東海道から九州に至り、全体で死者4,900人、潰家29,000戸に及んだ。徳島では630戸が倒壊し、津波により全滅した村もあった。(宇佐美龍夫「新編日本被害地震総覧」による... 続きを読む
寛政元年(1789)4月16日、地震により、阿波富岡町で文殊院の本堂の壁が甚だしく損じ、秋葉山拝殿の壁も損ず。同町の町屋・土蔵にも損害があり、山崩れもあった。徳島県南部の沿岸地方でも家、蔵などが傷み、山崩れもあった。(宇佐美龍夫「新編日本被害地震総覧」による)... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、前日の東海地震の32時間後に南海地震が発生した。津波により、牟岐では波高3丈(9m)、死者20人、宍喰では波高2丈(6m)、橘では波高18尺(5.5m)、流失家屋134戸、小松島では1,000軒のうち倒壊、火災、津波により残った... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日、紀伊半島沖で地震が発生した。津波による被害も大きく、徳島県の被害は死者202人、住家流出43戸、全壊602戸、半壊914戸、床上浸水3,440戸、床下浸水1,057戸、堤防決壊40箇所、道路損壊2箇所、橋流失2箇所、船流出3... 続きを読む