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康和元年(1099)、地震が起こり、土佐国潮江庄(現在の高知市潮江)が海底に成り、高岡郡吾井郷津野村が鴨御祖社領となった。(「広橋本兼仲卿記紙背文書」による)この地震による須崎の被害状況は伝えられていないが、土佐国内は大同小異の状況であったと思われる。 続きを読む
慶長9年(1604)12月16日、M7.9の地震が起こり、東海、南海、西海の諸道で広範囲に被害が発生した。土佐の状況は「暁印置文」でその一端を知ることができるのみである。須崎では円教寺に伝わる「長谷川文書」にその断片と思われる記載があるが、慶長地震に関係が... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日正午頃、M8.4の大地震が起こった。土佐藩から幕府への訴えによると、損害高は家屋流失11,167軒、潰家5,608軒、死者1,844人、死牛馬548疋、損田45,170戸石余等に及んだ。須崎の被害は、「須崎八幡宮木札」によると、損... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日~5日に東海、南海、西海にかけて、M8.4の大地震が起こり、大津波が押し寄せた。須崎の被害については、「徳永達助の記録」(平尾文庫)によると、家流失550軒、家汐入151軒、潰家95軒、半潰401軒、御普請所約2,420間、往... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時18分、潮岬沖でM8.1の大地震が起こり、大津波が土佐湾にも押し寄せて甚大な被害を受けた。須崎では国鉄須崎駅前、原町付近では火災も発生し、死者が集中した。須崎の被害は、死者58人、行方不明3人、負傷者140人、家屋全壊... 続きを読む
昭和35年(1960)5月24日午前3時40分頃、南米チリ沖で発生した大地震による津波の第一波が到達した。第二波は4時55分頃で、その後津波は第十波を記録した。須崎市の被害は住宅全壊17戸、流失2戸、半壊35戸、床上浸水617戸、床下浸水319戸、非住家113... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、地震が起き、津波が襲来した。この論文では、宝永地震・津波に関する碑等として、宝永津浪溺死之塚、須崎八幡宮木札、大善寺境内の地蔵台座碑、津野神社の地蔵台座碑、須崎橋の津浪之碑、安和海岸慰霊碑(以上、須崎市)、下川口の春日神社碑(土... 続きを読む
康安元年/正平16年(1361)6月24日、M8.4の地震が起こり、津波により香美郡田村下庄にあった正興寺の古文書が流失した。また、この時の津波により、徳島県海部郡由岐で1,700余戸が流失し、人畜に壊滅的被害を与えたことが太平記に記されている。由岐にはこの津... 続きを読む