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宝永4年(1707)10月4日午の上刻、大地震が起こり、間もなく津波が来襲した。沿岸の低地の建物はほとんど全てが流亡し、人畜の死傷が多数に及び、土佐全州では家屋の流失11,095軒、死者1,844人の被害となった。下川口村の被害状況は不明であるが、例えば下川口... 続きを読む
明治42年(1909)11月10日午後3時14分頃、地震が発生した。詳細は分からないが、地震により多少の被害は免れなかったであろう。(大毎新聞による) 続きを読む
安政元年(1854)11月5日午後4時過ぎ、大地震が起こり、強烈な震動は約10分間続き、その後津波が来た。津波は3回来たが、2回目が特に大きかった。目撃した人によると、津波は寄せる時は徐々であるが、引く時は勢いすこぶる猛烈を極めたという。地震の後には津波が... 続きを読む
天武13年(684)10月14日、大地震が起こった。日本書紀によれば、「山崩河濡、諸国郡官舎、及百姓倉屋、寺塔、神社、破壊之類、不可勝数」、「土佐国、田苑五十余万頃沿為海」とある。 続きを読む
昭和19年(1944)12月7日、東南海沖地震。有感範囲は関東、北陸から中国東半、四国に及び、高知の震度は4であった。震動が長く、人々は戸外へ飛び出した。(「渡川改修四十年史」による) 続きを読む
慶長9年(1604)12月16日、大地震が発生した。土佐国では、崎浜で50人溺死、西寺、東寺の麓では400人、甲浦では350人溺死と、谷陵記に記録されている。地震後の津波による被害も甚大であったようである。 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時15分、大地震が発生し、全町2,000余の家屋のほとんどを全半壊させるとともに、地震後の火災により町が焼き尽された。また、国民学校の3校舎・講堂などが倒壊したり、渡川鉄橋が墜落するなどした。中村の被害は、死者291名、... 続きを読む