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安政元年(1854)11月5日、南海地震が起こった。火災により中ノ丁のほとんど全部と本町、上町、京町、新町の一部で89戸が被害を受けた。「中村魚市場記録」によると、5日七ツ時(午後4時)大地震が起こり、津波が到来し、家屋は倒壊し、焼失は数軒、負傷者は40~50... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時15分頃、南海道大地震が起こり、全町2千余の家屋をほとんど全半壊させ、本町東側と中ノ丁両側の大部分と南上町の一部60余戸を焼き払った。紺屋町、南北上町、本町、南京町、一條通、天神橋は全滅、その他の町でも大半は倒壊または... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、大地震が起こり、その後海嘯が昼夜12回襲来し、5日暁に至ってようやく止んだ。「変災録」により、各村の被害状況を記すと以下のとおりである。中村では、地震により三分の二の家が倒れ、潮は町まで、渡川の潮は岩崎境脇田の池限り。宇山では、... 続きを読む
天武天皇13年(684)10月14日、大地震が起こった。日本書記には「人定におよびて大地震、挙国の男女叫唱東西を知らず、山崩れ、河涌き諸国郡官舎及び百姓の倉屋、寺塔、神社、破壊の類あげて数うべからず。是によって人民および六畜多く死傷す。時に伊予の温泉没して出で... 続きを読む
康安元年/正平16年(1361)6月24日、南海道沖大震。理科年表には「摂津阿波に津波被害あり、流失家屋死者多し」と記されている。日本地震資料-土佐国編年記事略には「高塩香美郡田村下庄正興寺に上る、古文書等多く流失す」と記されている。 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日午前11時過ぎに大地震が起こり、午後1時過ぎから津波が襲来した。大津波は翌5日晩まで12度押し寄せた。土佐国の被害は流家11,170軒、潰家4,863軒、破壊家1,742軒、死人1,844人、流失牛馬542匹、亡所の浦63箇所、亡... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日、大地震が起こった。寅の大変と言われる。「甲寅大地震御手許日記」によると、夕方地震が起こった後も、日没までに2回、夜中に7、8回も地震があり、宿毛の町の家は大半がつぶれ、その上火災が発生して、大変な騒動になった。その後、津波が押し... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時20分に起きた南海道沖地震直後に、小筑紫の民家から出火した。原因は暗がりの中で避難するために火を付けたマッチの燃えかすが燃え移ったもので、小筑紫の繁華街19戸を焼失した。この時、付近の人々は津波の襲来を恐れて高いところ... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時20分、南海道沖地震が起こった。地震による被害は宿毛の町が大きかったが、津波による被害は大島や片島で大きかった。宿毛町の被害は死者6人、重軽傷者58人、家屋の全壊185戸、半壊390戸、浸水520戸、防潮堤決壊153軒... 続きを読む