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安政4年の地震

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安政4年(1857)8月25日、伊予・安芸地震(M7.25)により、大洲城は石垣、城門廻櫓、高欄櫓、台所櫓が大破、千間塀が崩壊し、御貯蔵の新築、台所櫓修補、高欄櫓の建替、本丸櫓普請に10年後の慶応2年(1866)までかかっている。(「大洲市史」、「愛媛県気象史... 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日、東海、東山、南海道にM8.4の東海地震。翌5日、畿内、東海、北陸、南海、山陽、山陰道にM8.4の南海地震。その2日後の11月7日、伊予西部・豊後地方にM7.3の地震。大洲城はこの3地震により、東御門台、東御門橋掛櫓が大破し、安政... 続きを読む

天保12年の地震

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天保12年(1841)9月20日、宇和島地震(M6)により、宇和島城の損壊が記録されているが、大洲城については被害の記録がない。しかし、二年後の天保14年(1843)、荢綿櫓が再建されているのは、恐らくこの時の被害によるものではないかと思われる。(「大洲市史」... 続きを読む

寛延2年の地震

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寛延2年(1749)4月10日、宇和島・大分地震(M6.75)により、大洲城の品川櫓石垣、本丸多聞石垣、二之丸、三之丸の石垣が崩壊し、5年度の宝暦4年(1754)に修築が完了した。この時の地震では宇和島城も破損した。(「大洲市史」、「愛媛県気象史料」等による) 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)10月4日、地震(M8.4)により、五畿七道に被害が及び、瀬戸内沿岸に津波、土佐の沿岸では村落が海没した。大洲城は石垣が崩壊し、10年後の正徳6年(1716)に本丸、二之丸、三之丸の石垣修築が完了した。(「大洲市史」、「愛媛県気象史料」等に... 続きを読む

天明4年の落雷

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天明4年(1784)、落雷により、松山城の天守閣は焼失した。 続きを読む

元禄8年の風雨

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元禄8年(1696)7月21日深夜から翌朝にかけて、別子銅山は大風雨に襲われ、死者6人、建物・道・橋の倒壊被損2,200両余という大被害となった。 続きを読む

元禄7年の火災

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元禄7年(1694)4月25日午前10時頃、別子銅山の竃場から失火し、烈風に煽られ火の手は八方に燃え広がった。火は午後3時頃まで燃え続けて全山の施設のほとんどを焼失し、銅山役人をはじめ合わせて死者132人を出すという大惨事となった。この火災時には、隣の立川銅山... 続きを読む

元禄6年の風雨

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元禄6年(1693)6月21日、大風雨により、別子銅山では蔵13箇所、坑夫小屋200余軒が吹き潰されるという被害を受けた。 続きを読む

寛永7年の干ばつ

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寛永7年(1630)、天久しく雨を下さず、枯旱焚くが如く、田面多くは亀裂して穀禾登らず、郷民大に憂色あり。/この干ばつにより、片平村の稲田は収穫を見込めないため、庄屋の久兵衛は代官に減租を願い出たが、聞き入れられなかった。農民たちは自暴自棄に陥り、稲を焼き払っ... 続きを読む

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