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昭和9年の干ばつ

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昭和9年(1934)の干ばつには、菖蒲堰で「大落水」という慣行が行われた。これは、下堰側の5地区で用水が不足して、番水制度を実施しても満たされない時に、上堰の地区に請求して、その分水の一部を受益するというものであった。(「重信町誌」による) 続きを読む

明治32年の水害

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明治32年(1899)の別子銅山の大水害に際して、医師高原清二郎氏が胸の上まで水に浸かりながら病院に行ったところ、暗かったため、包帯の古屑の上に石炭油をふりかけて入口で火を付けて燃やしたところ、辺りが明るくなり、住民は非常に力を得た。(「新居浜史談」による)明... 続きを読む

平成16年の台風16号

平成16年(2004)、台風16号により、愛媛県大洲市で浸水被害が発生した。 続きを読む

元禄7年の別子銅山の火災

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元禄7年(1694)4月25日午前10時頃、別子銅山の竈場から出火し、烈風にあおられて燃え広がり、午後3時頃まで燃え続けた。全山の施設のほとんどを焼失し、死者142人を出す大惨事となった。住友では犠牲者を悼んで山中に蘭塔場を設けた。 続きを読む

平成17年の渇水

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平成17年(2005)6月の降雨量は松山で25ミリで、観測史上最小記録を102年ぶりに更新した。石手川ダムでは、6月21日から取水制限を開始したが、7月3日の梅雨前線の降雨により貯水量は回復した。 続きを読む

平成6年の渇水

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平成6年(1994)5月上旬から9月中旬まで、松山市の降雨量は平年の4分の1と少なく、特に8月の降雨量は2ミリであった。石手川ダムの貯水量は8月26日にゼロの異常事態となり、9月26日には底水も使い果たした。時間断水は最大19時間となり、学校のプール使用の中止... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

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昭和42年(1967)、南予地方は大干ばつに見舞われた。これを契機に、肱川流域からの分水が計画され、昭和57年に野村ダムが建設された。 続きを読む

享保8年の火災

享保8年(1723)12月6日、城下出火、類焼437軒。(「加藤家年譜」による) 続きを読む

平成7年の水害

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平成7年(1995)7月3日から4日にかけて、梅雨前線により局地的な豪雨となり、大洲上流域の降雨量は240~310ミリを観測した。大洲第2水位観測所の水位は4日10時30分に最高水位5.84mに達した。矢落川と肱川の合流部にあたる東大洲地区の越流により、約60... 続きを読む

明治26年の洪水

明治26年(1893)10月4日、洪水のため、大明神川の上・下川原、三島倉600間が決壊、新開海岸堤防決壊、被害地65町歩。(西条市自然災害年表による) 続きを読む

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