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昭和40年(1965)10月、殿川の洪水により、各地で堤防、護岸が決壊し、甚大な損害を被った。昭和36年の洪水、昭和40年の洪水及び昭和42年の渇水を機に、殿川の洪水調節と水道用水の供給を目的とした多目的ダムである殿川ダムが昭和47年度~49年度に築造された。 続きを読む
昭和36年(1961)9月、殿川の洪水により、各地で堤防、護岸が決壊し、甚大な損害を被った。昭和36年の洪水、昭和40年の洪水及び昭和42年の渇水を機に、殿川の洪水調節と水道用水の供給を目的とした多目的ダムである殿川ダムが昭和47年度~49年度に築造された。 続きを読む
大正7年(1918)、洪水。大正元年、大正7年、大正13年、昭和9年と続いた洪水・干ばつが契機となり、北条・永富両池の水利関係者が合議の上、水利調整のため長柄ダムを上流の綾上町に築造することとし、長柄ダムは昭和28年に完成した。 続きを読む
大正元年(1912)、洪水。大正元年、大正7年、大正13年、昭和9年と続いた洪水・干ばつが契機となり、北条・永富両池の水利関係者が合議の上、水利調整のため長柄ダムを上流の綾上町に築造することとし、長柄ダムは昭和28年に完成した。 続きを読む
寛政5年(1793)8月29日、一の谷池が決壊し、奔流は東の財田川を越えて上高野村(豊中町上高野)の延命院まで押し寄せたと語り継がれている。(観音寺市教育委員会蔵「一ノ谷池関係古文書」による) 続きを読む
昭和22年(1947)7月、豪雨のため、前年の災害から復旧途上の大谷池の堤防が流失した。しかし、住民の熱意により、大谷池の復旧工事は3年6ヶ月と98,000人余の労役を費やして、昭和25年に完成した。 続きを読む
昭和21年(1946)5月9日7時頃、三豊郡の大谷池の堤防が突如決壊して、死者3人、家屋の全壊42戸、半壊95戸、流失46戸、浸水75戸、田畑の冠水60ha等の被害のほか、米俵の浸水、国鉄予讃線の本山-豊浜間の線路浸水があった。(四国新聞による)なお、決壊当日... 続きを読む
昭和21年(1946)5月9日午前5時30分頃、大谷池の副堤の外法、堤塘天端より4.5m下方の箇所から漏水し始め、午前8時に決壊し、8時30分頃には全池水が流失した。濁流は堤防直下の上池・豊池を決壊させ、西丸井・福田・丸井南の3集落を襲い、粟井村向本庄付近では... 続きを読む