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昭和17年(1742)6月27日午前9時、村人の打ち続ける半鐘の音が急を告げた。満水した一ノ谷池の堤53mが決壊し、人家17棟と田植え直後の水田16haが流失した。一ノ谷村内の大半の水田は冠水の被害を受けた。各地の家屋に押し寄せた水の位置がわかる跡が残っていた... 続きを読む
嘉永6年(1853)5月、50石にある除け堤が100m崩れ、周辺に大きな被害があった。流岡町鹿隈橋の下の除け堤は、洪水の時、本流である財田川から資料の竿ノ川への逆流を防ぐために、合流地点(50石)につくられたものである。(写真1枚) 続きを読む
寛政5年(1793)夏、大雨により一ノ谷池の堤中央付近で、長さ22間、高さ3間半にわたり決壊した。その濁流は豊中町上高野の延命院まで達したと言われている。 続きを読む
昭和25年(1950)9月、ジェーン台風により那賀川で出水となった。この出水を契機に、那賀川上流部に建設中であった利水用の長安口ダムに洪水調節目的が付加されるとともに、下流部の改修工事が進められた。 続きを読む
昭和21年(1946)の南海地震で、海南町の家族が持ち物を準備していて逃げ遅れ、津波が押し寄せる中を必死に逃げたが、四女を背負った長女は津波に行く手を阻まれて「お母ちゃん行けんもん」と言ってこの世を去った。(「宿命の浅川港」による)地震後は津波に備えて一刻も早... 続きを読む