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明治38年の台風

明治38年(1905)8月16日及び28日、大暴風雨により、農作物、民家等に大きな被害が出た。この時、中津の一里松や五本松が折れた。(西谷節子氏の調査による) 続きを読む

大正元年の台風

大正元年(1912)9月3日、台風に伴う大洪水により、飯田の東川原、本津の川口等の堤防が決壊した。弦打青年会は徹夜で水防にあたり、4日間土俵で海水の浸水を防いだ。(「高松市史年表」による) 続きを読む

大正3年の台風

大正3年(1914)、台風に伴う洪水により、檀紙中森の堤防が決壊して、現在の団地から青木・相作まで押し流された。(「高松市史年表」による) 続きを読む

享保3年の降霜

享保3年(1718)5月4日、大霜が降り、寒さが厳しいため牛馬等が病気にかかり、2,300頭以上が死亡した。(「新香西史」による) 続きを読む

享保9年の洪水

享保9年(1724)8月14日の大風・洪水、22日~23日の大暴風・洪水により、河川・海岸の堤防はことごとく決壊して、田畑は一面海のようになり、山は崩れ、死者は100人を越え、牛馬の死亡も多数であった。(「新香西史」による) 続きを読む

天明2年の暴風

天明2年(1782)5月4日~5日の大暴風により、田植えが終わった数千町歩の苗が流され、民家の倒壊・流失233戸、舟の破砕50隻という。さらに、6月13日まで長雨が続き、大洪水となった。このため、稲作の収穫は皆無となり、大飢饉となった。 続きを読む

慶応2年の台風

慶応2年(1866)8月7日~8日の台風に伴う洪水により、香東川では中津の五本松から北方の堤防が60間崩壊し、耕地の流失30町歩、人家の流失2戸、浸水40戸、水死者1人の被害を出した。(元木繁尾氏の資料による)また、本津川でも三軒野の南が切れて、鶴市から北方は... 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月3日、洪水により、香東川では南部柦紙村中森の堤防と相作の堤防が切れ、本津川では三軒屋から南方が切れて、両者の水が合流して鶴市や郷東は海のようになったと言われている。この時、弦打青年会が徹夜で土俵を積み、4日間も水防に努めた。(唐渡福太郎... 続きを読む

大正7年の洪水

大正7年(1918)、洪水により、香東川では中森の堤防が、本津川では相作の堤防が切れ、中津の西方から郷東一帯は泥沼の海と化した。この洪水で定木、青木、相作頭の墓地が流れ、探すのに苦労したと言われている。洪水後に、柦紙村と弦打村が共同して耕地整理を行った。(唐渡... 続きを読む

寛政3年の台風

寛政3年(1791)8月20日、台風、洪水により、弦打村では飯田の東川原で堤防が60間決壊し、耕地5町歩と民家1戸が流失、3戸が浸水した。北部では徳栄寺南が決壊し、耕地30町歩、民家4戸が流失、17戸が浸水した。郷東海岸では海水が逆流し、堤防40間が決壊し、耕... 続きを読む

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