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延喜元年の風浪

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延喜元年(901)1月25日、菅原道真が筑紫に赴く途中、風浪のため船を破り、越智郡桜井浜に上陸し、中山を経て温泉郡久保田村のこの地(沓脱天満神社)に滞留し給う。(「伊予温故録(沓脱天満神社記録)による) 続きを読む

昭和10年の中藤川の大火

昭和10年(1935)3月14日午後1時30分、父野川地区中藤川の山林から出火し、北西の強風にあおられ、20分間に21戸の草葺の住家と17戸の非住家を全焼させた。さらに火勢は猛威を極め、付近一帯の山林を焼き尽くし、高知県境にまで延焼して、1,000町歩の山林を... 続きを読む

昭和10年の下鍵山の火災

昭和10年(1935)6月27日午前0時30分、下鍵山地区十字路より出火、町の大半を焼失して、午前3時30分に鎮火した。焼失家屋は住家54戸、非住家13戸、罹災者179人で、被害総額は20万円と県に報告されている。 続きを読む

享保17年の風水害

享保17年(1732)、風水害及び蝗害により飢饉となり、藩の御物成も全免され、藩主も幕府から金穀を借りて飢民の救助にあてた。この災害によって、翌享保18年には、吉田領内に約3万人の飢民ができた。 続きを読む

明治19年の台風

明治19年(1886)7月22日、大暴風雨により、農作物の倒伏・流出が起こるとともに、山林の巨木の倒壊・流出により河岸の崩壊、田畑の流失が多かった。広見町小松の河川、通称中川原で梁漁中の数人が濁流にのまれる悲惨事があった。 続きを読む

昭和10年の中藤川の大火

昭和10年(1935)3月14日午後1時30分、父野川地区中藤川の山林から出火し、北西の強風にあおられ、20分間に21戸の草葺の住家と17戸の非住家を全焼させた。さらに火勢は猛威を極め、付近一帯の山林を焼き尽くし、高知県境にまで延焼して、1,000町歩の山林を... 続きを読む

昭和10年の下鍵山の火災

昭和10年(1935)6月27日午前0時30分、下鍵山地区十字路より出火、町の大半を焼失して、午前3時30分に鎮火した。焼失家屋は住家54戸、非住家13戸、罹災者179人で、被害総額は20万円と県に報告されている。 続きを読む

昭和57年の長雨・大雨

昭和57年(1982)7月6日~25日、長雨、大雨。 続きを読む

享保17年の風水害

享保17年(1732)、風水害及び蝗害により飢饉となり、藩の御物成も全免され、藩主も幕府から金穀を借りて飢民の救助にあてた。この災害によって、翌享保18年には、吉田領内に約3万人の飢民ができた。 続きを読む

明治19年の台風

明治19年(1886)7月22日、大暴風雨により、農作物の倒伏・流出が起こるとともに、山林の巨木の倒壊・流出により河岸の崩壊、田畑の流失が多かった。広見町小松の河川、通称中川原で梁漁中の数人が濁流にのまれる悲惨事があった。 続きを読む

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