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延宝6年(1678)7月18日、松山で大風雨、民家1,793軒倒壊。(「松山叢談(津田家記)」による)/7月、大風雨、損毛夥し。(「伊予風水害小史(宇和島吉田両藩誌)」による)/伊予の松山は18日の大風により、城下市邑803戸、郷里1,594戸潰れたり。伊予の... 続きを読む
延宝8年(1680)秋期、洪水2回。連年の凶作により、民は大いに窮した。(「新居郡誌」による) (註)日本気象史料ではこの年の風雨・洪水として6件が挙げられているが、発現地はいずれも東日本であり、本項は疑わしい。 続きを読む
寛文13年(1673)5月13日~14日及び17日~18日、大雨、洪水により、損毛5,600石。(「伊予風水害小史(宇和島御記録)」による)5月、洪水。(「伊予風水害小史(宇和島吉田両藩誌)」による)5月、洪水の後、大干ばつにより収穫少なし。(「新居郡誌」によ... 続きを読む
寛文13年(1673)、古老の言い伝えによると、6月17日、18日より頻りに雨が降り、27日夜に石手川の堤が切れて城下町分及び代官町辺りも水溢れ、同心町、西堀端は水勢強く、堀の水と一面になり、追々水が増えたため、堀の上手に畳を運び、老若がこれに逃げたが、28日... 続きを読む
天文10年(1541)、洪水があり、その時神殿より鏑矢が飛び出て西方の山上に止まった。村民はこれを見て西山に逃げた。果たして川は3箇所崩壊して、家屋、土地が流亡した。(「伊予温故録(蕪崎神社伝記)」による) 続きを読む
天文15年(1546)秋収穫期に際し、暴風雨あり、被害激甚。(「新居郡誌」による) (註)疑わしい。新居郡誌は資料の出処、原典を全く記さず、かつ内容も時、所を具体的に記したものは極めて少なく、形容誇大の嫌いあり、中には他の信頼すべき資料と矛盾するものもあり、全... 続きを読む