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昭和51年の台風17号

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昭和51年(1976)9月8日午後から、台風17号による雨が降り始め、11日には豪雨となって、至る所で山地崩壊、崖崩れ、土石流が発生した。内海町、土庄町、池田町の合計で死者は39人であったが、特に池田町谷尻地区では集落35戸のうち、18戸が土石流により海まで押... 続きを読む

寛文2年の干ばつ

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寛文2年(1662)、大日照りで米がとれなかったが、井の口新田だけは平屋池のおかげで豊作だった。(豊中町の水を求めての歴史) 続きを読む

大正13年の干ばつ

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大正13年(1924)、大干ばつ。大正9年と大正13年の二度にわたる大干ばつにより、近代式のため池の必要性が高まり、豊稔池の築造につながった。豊稔池は大正15年に着工し、昭和5年(1930)に完成した。 続きを読む

大正9年の干ばつ

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大正9年(1920)、大干ばつ。大正9年と大正13年の二度にわたる大干ばつにより、近代式のため池の必要性が高まり、豊稔池の築造につながった。豊稔池は大正15年に着工し、昭和5年(1930)に完成した。 続きを読む

寛永20年の干ばつ

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寛永20年(1643)4月から11月まで、雨降らず。この年、井関池をつくる。(井関池の年表) 続きを読む

明治10年の水争い

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明治10年(1877)夏、西潟元村(高松市屋島西町)では田植え水が不足したため、久米池からの配水を要請したところ、春日村、新田村(高松市春日町、新田町)から拒否された。このため、東・西潟元村は久米池貯水の平等配水を要求して裁判所に提訴した。久米池の配水について... 続きを読む

天平宝字8年の干ばつ

天平宝字8年(764)、山陽、南海二道において、諸国大いに旱に苦しみ、疫病流行して被災する者が多かった。(「類聚国史」による) 続きを読む

仁和3年の地震

仁和3年(887)7月30日、地震により、庁舎転倒し、津波あり死傷多し。(「理科年表」による)/本県の記録はないが、次の記事でその規模が分かる。「三代実録」によると「申刻地大いに震動す数刻を経て尚止まず、東西京の家往々転ぷく圧死する者多し或は失神頓死する者あり... 続きを読む

文化14年の干ばつ

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文化14年(1817)5月から7月にかけて、大干ばつとなった。二頭出水は通常は下流の三吉田村(上吉田村、下吉田村、稲木村)の水田を養っているが、大池が干上がると善通寺領の要請に要請により、輪番で取水する慣行となっていた。この時も寺領側が上吉田村に二頭出水からの... 続きを読む

大正13年の干ばつ

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大正13年(1924)夏、大干ばつとなり、鹿の出水をめぐる伏石村と多肥村の水争いが起こった。8月21日、伏石の農民たちは鍬やジョウレンを持って、夜中に伏石神社に集まり、鹿の井出水に押しかけ、夜を徹して出水の底を深くさらえた。これを知った多肥村の人たちは警察に急... 続きを読む

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