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寛政2年(1790)夏、日照りが続いた。香東川の上流にある「芦脇井関」で水が堰き止められると、下流の「一の井関」には水が流れないが、この時にも芦脇井関側と一の井関側で水争いが起こった。 続きを読む
正保2年(1645)、讃岐国は大干ばつに襲われた。これを機に高松藩は新田開発とため池の築造改修に取り組んだが、平田池もその時に造られたため池の一つである。平田池は藩主松平頼重の命により矢延平六が築造したものである。なお、地元では平田池とは言わずに、通常「王墓池... 続きを読む
寛永3年(1626)4月から7月にかけて、讃岐国では約90日間にわたって全く降雨がなく、稲は全滅し、多数の餓死者が出た。領主生駒高俊は伊勢から西嶋八兵衛を招き、讃岐国内に90余りの大池を新築または増築させたが、三郎池もこの時に築かれた。三郎池は藩工事として寛永... 続きを読む
寛政6年(1794)、大干ばつに見舞われ、芦脇井関の少し下流にある一ノ井堰掛かりの岡・由佐・横井・池内の4ヶ村は用水不足になった。その原因は、芦脇井関から導水している井手を深く掘り下げたため、一ノ井関の水廻りが悪くなったのである。この芦脇井関掛かりと一ノ井関掛... 続きを読む