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安政元年(1854)6月14日、讃岐地方に強震があった。この地震で堤防の地盤が緩んだのか、石樋の仕替え普請がずさんであったのか、7月5日午後2時頃、樋外の石垣から水が漏れているのを池守が発見した。翌日から水漏れを防ぐための対策を講じられ、9日には高松・丸亀両藩... 続きを読む
明治27年(1894)と明治28年(1895)、干ばつが激しく、大野原村は土地が高燥であるため、殊に被害が甚だしかった。このため、大貯水池築造の計画が持ち上がり、豊稔池の築造工事が大正15年3月に起工、昭和5年3月に竣工した。(「豊稔池碑」の碑文による) 続きを読む
昭和51年(1976)9月8日からの連日の降雨は1,400ミリに及び、小豆島東部に壊滅的な被害を与えた。西城地区でも11日に819ミリの集中豪雨となって、山津波を起こし平山池をも一挙に決壊させ、ほとんどの家屋が流出、埋没、床上浸水を蒙った。(西城の「大水害復興... 続きを読む
昭和49年(1974)7月6日、台風8号による集中豪雨のため、雨量は1時間に65ミリ、16時間に385ミリに達した。このため、各地で山崩れ、河川の氾濫、堤防の決壊等が多数起こった。田ノ口池でも堤防の下流側面全域に崩壊が生じ、特に西約30mの間は決潰に瀕したため... 続きを読む
昭和21年(1946)、南海地震による地盤沈下のため、白鳥の松原は浸蝕され、東部の新川流域の耕地も低地と化し、海水が浸入するようになった。このため、流域の排水不良は言うに及ばず、数十糎の降雨でも田畑の湛水が甚だしく、住居は床下浸水となることを常とするようになっ... 続きを読む
昭和6年(1931)9月17日午後から、低気圧のため大雨となり、総雨量は130ミリに及んだ。18日には小豆郡で豪雨があり、河川が氾濫し、福田村では死者5人、重傷者4人、家屋の流失29戸、半壊51戸、畑流失・埋没17ha、堤防決壊、橋流失、にわとり流失等の被害が... 続きを読む
平成16年(2004)10月20日昼前、台風23号により、県東部の山間部を中心に激しい雨となり、夕方まで降り続いた。1時間雨量は前山で125ミリ、日下峠で116ミリを記録した。このため、土砂災害が東讃を中心に多発し、11人が犠牲になり、このうち土砂崩れのため東... 続きを読む
平成16年(2004)10月20日、台風23号により、雨が強まり、引田では日降水量が333ミリを記録した。特に県東部山間部では1時間に80ミリを越える猛烈な雨となり、土砂崩れや河川の氾濫等で大きな被害が出た。また、高松検潮所のTP上最高潮位が182cmになるな... 続きを読む
昭和48年(1973)、7月から8月中旬までほとんど雨がないという異常気象となった。高松市では7月13日に第一次給水制限、21日に第二次給水制限、8月1日に第三次給水制限に入り、1日の給水時間は3時間となった。高松市では陸上自衛隊の救援出動を要請、大規模な給水... 続きを読む
昭和51年(1976)9月8日~13日、台風17号が九州南西海上に停滞したため、記録的な豪雨をもたらした。8日~13日の降雨量は津田町で982ミリを観測した。津田町では北山地区で山崩れで死者8人の被害が出たほか、溜池・河川の決壊、田畑の流失、土砂流入、民家の全... 続きを読む