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正保2年の干ばつ

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正保2年(1645)、大干ばつに見舞われ、奈良須池辺りの地域の被害は激甚であったという。 続きを読む

平成7年の阪神・淡路大震災

平成7年(1995)1月17日午前5時46分頃、M7.2、高松で震度4の阪神大震災が発生した。高松では、ビルの窓ガラスなどの一部に損傷があった程度であった。 続きを読む

昭和51年の台風17号

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昭和51年(1976)9月の台風17号による雨は、記録的な集中豪雨となった。9月8日早朝から12日までの雨量は最大日量754ミリ、累計雨量1,400ミリとなり、11日午後11時20分には谷尻の山腹が崩壊し、土石流が民家21戸を押し流し、24人の人命を瞬時に奪... 続きを読む

昭和14年の干ばつ

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昭和14年(1939)の年間雨量は698.3ミリ(平年1,200ミリ)で、多度津測候所開設以来、明治27年(1894)に次ぐ大干ばつであった。各所で新しく出水(井戸)を掘り、夜を徹して田畑への冠水が行われた。7月23日には、藤岡長敏県知事が滝宮天満宮で雨乞い祈... 続きを読む

元禄14年の干ばつ

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元禄14年(1701)7月、大干ばつ。この干ばつも契機となり、久保太郎右衛門は上流の綾川から皿池などを経て大羽茂池に至る掛井手掘削を藩庁に再三請願した。 続きを読む

元禄10年の干ばつ

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元禄10年(1697)から、綾南町では連続した干害があり、元禄14年(1701)には270人が餓死しそうになったという。この干害は、久保太郎右衛門が萱原用水を引くきっかけとなった。 続きを読む

大正13年の干ばつ

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大正13年(1924)の夏は空梅雨で、7月に入っても一滴の雨もなく、池は涸渇し飲料水にも事欠く状況であった。このため、新池築造を待望する農民の活動は活発になり、これを受けて田野々池(豊稔池)築造の動きが本格化することになった。県営田野々池築造工事は大正15年3... 続きを読む

昭和14年の干ばつ

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昭和14年(1939)、大干ばつのため、満濃池の水掛かりは徹底的な被害を受けた。丸亀平野の南部にはある程度かんがい用水を提供することができても、北部には行き届かなかず、満濃池の大改修が待望されるようになった。第三次の嵩上げ工事は昭和15年に県営満濃池用水改良事... 続きを読む

大正13年の干ばつ

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大正13年(1924)、干ばつのため、満濃池の水掛かりは1,120町歩が被害を受け、減収高は11,322石に達した。この干ばつを契機に、満濃池水利組合は満濃池の嵩上げ等の計画を立て、昭和3年(1928)から昭和5年にかけて第二次嵩上げ工事を実施した。 続きを読む

明治27年の干ばつ

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明治27年(1894)、干ばつのため、135日間降雨が皆無であった。この後も数回干ばつの被害を受け、満濃池では堤防を3尺嵩上げするための工事が明治38年(1905)から翌明治39年1月にかけて行われた。 続きを読む

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